三菱ジェット旅客機の事業凍結、ホンダジェットとの明暗は?

スペースジェット、6度の納期延期で開発費、人員削減

三菱重工業は10月22日、国産初のジェット旅客機スペースジェット(旧名・MRJ)の開発費や人員削減を大幅に削減し、事業を凍結する方針を最終調整していることがメディアで報じられました。
スペースジェットは、これまで巨額の開発費を投じ、官民連携で約半世紀ぶりに国産旅客機を目指したものの、ノウハウ不足などで6度納期を延期しており、国の産業政策にも大きな打撃となりそうです。
三菱重工業は、今後の航空ニーズの動向を確認しながら事業を再開するかどうかを検討する見込みです。
約半世紀ぶりの国産旅客機に期待したものの・・
日本の旅客機は、昭和48年に生産が終了したプロペラ機のYS11以来、技術が途絶え自動車や電機が「Made in JAPAN」として名を世界に広げた経緯があります。
その後の日本での航空機産業は、三菱重工業はじめ、航空機関メーカーは、米ボーイングなどへの部品供給やライセンス生産にとどまったままで、100万点をも超える部品からなる裾野の広い旅客機全体を開発・生産には至りませんでした。
航空機商業化に必要な型式認証でも、YS11以来、取得する必要もなく三菱重工業が事業化を決めた時点で国土交通省に知見のある職員は4人だけだったことも失策であった可能性もあります。
ホンダジェットは技術者ファーストで開発
一方、同じ旅客機でも販売好調なホンダジェットは8人乗りとサイズが全く異なり、両者の比較は難しいものの、航空業界に全く知見のない状態からスタートしたホンダは、30年もの月日をかけ、平成27年に事業化できた背景には、飛行機設計のノウハウを叩き込んだ米ロッキード・マーチンの技術にありました。
さらに、ホンダジェットの開発は米国で進められましたが、東京の本社の社長が代変わりしても、一切口出し無用を貫いた点であり、技術者ファーストの新たな「Made in JAPAN]が生まれました。
裾野の広い産業、航空機産業
これに対し三菱重工業は、平成20年にスペースジェットの開発が始まって以来、約10年で5人も社長を変え、中には航空業界に知見のない社長もいたと言います。
昭和の時代、日本は高度経済成長を成し遂げたのは電機や自動車の2大製造業であり、両者と比べ関連産業の裾野の広い航空機の創生は産業界にとっての悲願でした。
スペースジェット事業に関しては、来年度以降、予算は10分の1に削減されるなど今後の動向が注視されます。
●関連記事:「三菱リージョナルジェット:開発延期から翼胴結合!今秋組立て完了、来春には初飛行」[2014.6.24配信]
「ホンダジェット、2年連続販売数世界首位!自動車部門は英国離脱、航空機部門とのバランスは?」[2019.2.26配信]
[2020.11.3]
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