季節のお便り
◆二十四節気◆平成24年2月19日「雨水:うすい」です。◆
2月19日15時18分「雨水」です。旧暦正月、寅(とら)の月の中気で、新暦2月18日か19日頃。立春後15日目にあたります。天文学的には、太陽が黄経330度の点を通過するときをいいます。
空からの雪が雨に変わり、積った雪が溶け始めるころ。「雪散じて水と為る也」と暦林問答集にあるように、今まで降った雪や氷が解けて水となり、雪が雨に変わって降るの意が「雨水」です。
また、暦便覧には「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」と説かれています。
この頃から寒さも峠を越え、春の息吹が感じられます。昔から「雨水」の日を目安にして農耕など畑仕事の準備を始めます。
暖かい日和が続き春一番※が吹き、鶯(うぐいす)※の声が聞かれるようになります。
※春一番=気象庁では立春から春分までで、日本海で低気圧が発達し、南寄りの風(東南東から西南西で風速8メートル以上)が吹いて、暖かい風の影響で気温があがる現象のことと定義されています。
※鶯(うぐいす)=スズメ目ウグイス科ウグイス属の野鳥。日本三鳴鳥のひとつ。「ホーホケキョ」とさえずります。
鶯は早春、梅の咲く頃にさえずり始めることから「春告鳥(はるつげどり)」とも呼ばれます。日本全国に分布し、冬季は暖かい土地へ移動して冬を越します。
野辺見れば 若葉つみけりむべしこそ 垣根の草も春めきにけれ(紀貫之:拾遺集)
次の二十四節気は3月5日「啓蟄(けいちつ)」で、3月20日「立春」前の二十四節気です。
■七十二候■ ◆初候「土脉潤起」(どみゃくうるおいおこる・つちのしょううるおいおこる)
◇雨が降って土中に湿り気を含み出す時節。脉(みゃく)=脈の俗字。潤い=降雨があること。
◆次候「霞始靆」(かすみはじめてたなびく)
◇霞がたなびき始める時節。来る春への期待がふくらむ頃。
靆(雲へんに逮)・たい=たなびく。古訓で、霞や雲が薄く層をなして横に長く引く意。
◆末候「草木萠動」(そうもくきざしうごく・そうもくめばえいずる)
◇草木が芽吹き始める。
◆◆「2月雨水の花」◆◆
「桃:もも」(桃、学名 Amygdalus persica)はバラ科 モモ属の落葉小高木。
または、その果実のことを指します。
春には五弁または多重弁の花を咲かせ、夏には水分が多く甘い球形の果実を実らせます。原産地は中国。食用・観賞用として世界各地で栽培されている。
花は淡い紅色であるものが多いく、白色から濃紅色まで様々な色のものがあります。五弁または多重弁で、多くの雄しべを持ています。花の柄は非常に短く、枝に直接着生しているように見えます。
観賞用の品種(花桃)は源平桃(げんぺいもも)・枝垂れ桃(しだれもも)などがあり、庭木や華道での切り花としてこの季節に用いられています。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
今年は度重なる寒波の影響で、日本海側は記録的な豪雪です。気象庁では18豪雪以来の豪雪と報じています。水戸偕楽園をはじめ、各地の梅の名所で「梅祭り」が開催されます。平成23年は、暖冬で梅の開花が早まりました。今年は寒波の影響で梅祭りの時期にはまだ蕾のままです。
立春から暦の上では春ですが、今年は寒い日が続いていますが、春はすぐそこまで来ています。
読者の皆様、季節の変わり目です。体調を崩さないようお体ご自愛専一の程
筆者敬白
◆二十四節気◆平成24年2月4日「立春(りっしゅん)」です。◆
2月4日19時22分「立春」です。旧暦正月、寅(とら)の月の正節で、新暦2月4日頃にあたります。天文学的には、太陽が黄経315度の点を通過するときをいいます。
旧暦では、立春の日が「一年の始め」とされ、この日の前夜を年越しとする風習があります。このため正月節、歳首節ともいいます。前日の「節分」までは前の年で、「立春」から新年ということになります。
いち日ごとに日足が伸び、木々が芽吹き出し、春の気配を感じるようになります。暖かい地方では、梅の花が咲き始めます。立春以降に、初めて吹く南寄りの暖かい突風を「春一番」といいます。
禅寺など寺院の入り口には、早朝に「立春大吉」と書いた紙札を貼る習慣があります。これは「厄除け」とされていますが、立春大吉の文字を縦に書くと、左右対称になります。文字が対称であるところから、他人の話を分け隔てなく聞き公平に接して、災難に遭わないという謂れです。
四季では、立春から立夏までが「春」です。また、立春は、暦の上での雑節の基準になる日です。この日から「八十八夜」「土用」「二百十日」などを算出します。
◆◆「七十二侯」◆◆
◆初候「東風解凍」(とうふうこおりをとく=はるかぜこおりをとく)
◇東風が厚い氷を解かし始める時節。
◆次候「黄鶯睍睆」(こうおうけんかんす=うぐいすなく)
◇うぐいすが山里で鳴き始める時節。黄鶯(こうおう)=こうらいうぐいす。黄鶯子、黄鶯児とも。睍睆(けんかん)=鳴き声のよいさま。
◆末候「魚上氷」(うおこおりにのぼる=うおこおりをのぼる)
◇割れた氷の間から魚が飛び出る時節。
◆◆「2月の花」◆◆
「福寿草:ふくじゅそう」金鳳花(きんぽうげ)科
学名:Adonis amurensis Adonis(アドニス)は、ギリシャ神話に登場する「イノシシの牙に突かれて死んだ青年」の名前に由来。傷から出た血のように赤い花の例え。(欧州産の花は赤です)
開花時期:2/1~3/15頃 正月に販売されているものはハウス栽培されたもの。花芽は晩秋にできるので、その後約1ヶ月寒さにあわせて室内に保存しておき、正月頃に咲かせます。花は黄金色。光や温度に非常に敏感で、昼間でも日が遮られると1~2分で花がしぼみ、再び日があたると花開します。
福寿草の花と南天の実をセットにして「難を転じて福となす」という縁起物の飾り付けがされたりします。根と茎は有毒。花が終わる頃、人参の葉のような細い葉が出て一面に広がります。
別名「元日草:がんじつそう」、「朔日草:ついたちそう」など。
花言葉は、「幸福」「幸せを招く」「永久の幸福」「回想」「思い出」「悲しき思い出」など。
「朝日さす 老師が家や 福寿草」/与謝蕪村
「水入りの 水をやりけり 福寿草」/正岡子規
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
あけましておめでとうございます。二十四節気立春です。めでたく「立春大吉」を迎えました。
2012年は既に年明けをしていますが、暦における一年は「立春」に始まり翌年の「節分」で終わります。旧暦では立春からが新年、元旦ということになります。
日本では明治に入りグレゴリオ暦が採用されてから、立春を「立春正月」といい新暦・旧暦の正月と区別するようになりました。
節分(年に4回)など季節の切り替わりには、自身を取り巻く自然の流れや周囲の環境が大きく変化して、それまでの運勢の流れが入れ替わることを意味しています。また節分で土用が明けます。停滞していた問題や解決していない事柄を解決するタイミングです。
今年は新年に入りインフルエンザが流行しています。うがい・手洗いを励行しましょう。室内では加湿器を使用して、インフルエンザ菌が飛散しないように心がけましょう。
それではみな様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白
◆二十四節気◆平成24年1月21日「大寒(だいかん)」です。◆
1月21日1時10分「大寒」です。旧暦12月、丑(うし)の月の中気で、天文学的には太陽が黄経300度の点を通過するときをいいます。冬の最後の二十四節気です。
一年で最も寒い季節で「極寒の絶頂期」になります。大寒を暦便覧では「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と説いています。
各地で一年の最低気温が記録される頃。大寒の水は腐らないとされていて、昔は保存用として汲み置かれました。武道では、寒稽古※が行われます。この頃から酒や味噌などの仕込みの時期です。
沢は凍り付いていますが、路地では蕗の花※が咲き始め、ひばりの初鳴きも聞かれる頃、鶏が卵を孵し始めます。寒の内も後半、すぐそこに春が感じられます。
◆「寒の入り」「寒の内」◆
大寒は小寒から数えて15日目に当ります。この期間を「寒の入り」と言います。それに、大寒から立春までの15日間を合わせた30日間を「寒の内」と言います。昔から酒や味噌などの仕込みの時期とされています。
※「蕗・ふき」 「蕗の薹:ふきのとう」キク科フキ属の多年草
冬に黄色い花をつけることから「冬黄(ふゆき)」の略。語源はギリシャ語の「つば広の帽子」。原産は日本で、水が豊富で風の強くない土地に繁殖します。開花時期は2月10日頃~3月末。
春の山菜の代表で、冬眠から目覚めた熊が最初に食べるのが「蕗の薹」です。蕗の薹は、花が咲く前の柔らかいうちに食します。旬の蕗の薹はどのように調理しても美味しいです。
花が咲いたあと、地下茎を通じている葉の部分が延びてきます。この葉の茎の部分が「フキ」として食用になります。
※「寒稽古・かんげいこ」
寒の時期、武道や芸事の修練を行うことをいいます。寒さに耐えながら稽古をすることによって、技術を磨き、精神を鍛えるのが目的です。
神道、修験道、仏教などで寒行と称して、海や川などの水に入る、滝に打たれるなどの行を指します。
◆◆「七十二候」◆◆
◆初候「款冬華」(かんとう はなさく)
◇寒さ厳しい中に、蕗の薹(ふきのとう)がそっと蕾(つぼみ)を出す時候。款冬の花茎を蕗の薹といいます。厳冬に氷を破るように生える様から、大寒の頃に咲く花ですが、春の使者として俳句では春の季語に入れます。
◆次候「水沢腹堅」(すいたく ふくけん)
◇沢に氷が厚く張りつめる時候。
◆末候「鶏始乳」(にわとり はじめて にゅうす)
◇鶏が春の気を感じて卵を産み始める時候。鳥が卵を産むこと。
◆◆ 「大寒」の花 ◆◆
◇「福寿草」ふくじゅそう◇ キンポウゲ科の多年草 学名:Adonis amurensis Regel et Radd.
キンポウゲ科の多年草。多数の堅い根をもつ短い根茎から数個の花茎を出します。花茎は初め短く、包葉状の葉に包まれて先端に花をつけますが、やがて伸びて細裂した3回羽状複葉を互生し、30センチメートル以上になります。
花は光沢のある黄色で、日が当たると開き花期後、金平糖のような集合果ができます。日本から朝鮮半島、シベリアに分布。日本では本州中部以北、北海道に多く見られます。
寒さに強く山の北東斜面の落葉樹林に多く自生しています。花形や花色に個体変異が多く、弁先が裂けたナデシコ咲きや、紅色花の品種もあります。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
正月も「二十日正月」「大寒」の頃になると通常の生活戻るどころか、もうすぐそこには2月が訪れます。2月3日が節分で2月4日が立春です。中国など旧正月の習慣が濃いところは立春の頃「立春大吉」として正月祝いを行う習慣が残っています。
昨年は、東日本大震災から原発事故で節電の冬です。例年とは違う寒さに対する備えが講じられた冬です。
季節の変わり目で、油断から体調を崩しやすい時期です。読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白
◆二十四節気◆平成24年1月6日「小寒(しょうかん)」です。
1月6日7時44分「小寒:しょうかん」です。旧暦12月、丑(うし)の月の正節で、冬至後15日目。新暦1月5日か6日頃にあたります。天文学的には太陽が黄経285度の点を通過するときをいいます。
この日をもって「寒の入り」とし、寒中見舞いが出されます。この日から節分までを「寒・寒中・寒の内」といい、約30日間ほど厳しい寒さが続きます。
小寒とは寒さがまだ最大ではないといった意ですが、季節は本格的な冬です。「小寒の氷、大寒に解」の例えのように、実際には小寒の頃のほうが、寒さが厳しいようです。
ちなみに諺の意味には「物事が必ずしも順序どおりにはいかない」という意が含まれています。
暦便覧では「冬至より一陽起こる故に陰気に逆らふ故、益々冷える也」と説いています。この日をもって「寒の入り」とし、寒中見舞いが出されます。
「寒中見舞い」は、暑中見舞いに比べると出す人は少ないようです。年賀状を出すのが遅くなってしまった場合や、喪中に年賀状が届いた人への返信に利用一般的です。
小寒から4日目を「寒四郎」、9日目を「寒九郎」と呼んでいます。
「寒四郎」は麦作の撰日(予想日)とされ、この日にの天候によって、収穫に影響があるとされてました。晴れだと豊作で、雨や雪だと凶作になるという事です。
また、寒九郎は「寒九の雨」といって、この日に雨が降ればその年の豊作の兆しとして、農家では喜ばれました。
◆◆「七十二侯」 ◆◆
◆初候「芹乃栄」(せり すなわち さかう)
◇空気が冷え、澄みきるようになり、芹がよく生育する時節。
◆次候「水泉動」(すいせん うごく)
◇地中では凍った泉が動き始める時節。水泉=わき出る泉。
◆末候「雉始雊」(雊句隹)(ち はじめて なく)
◇雄の雉(キジ)が鳴き始める時節。
◆◆ 「1月の花」 ◆◆◇「水仙」すいせん◇彼岸花科 スイセン属
学名:Narcissus tazetta var. chinensis(日本水仙)・tazetta(小さいコーヒー茶碗=イタリア語)・chinensis(中国のNarcissus:ナルキッサス、ナルシサスは、ギリシャ神話の美少年の名前)
別名:雪中花(せっちゅうか) 福井県の県花になっています。越前海岸は全国的に有名な見どころです。
開花時期は12月15日~翌4月20日頃。早咲きの物は正月前に咲き出します。原産地は地中海沿岸。平安末期の頃に中国から渡りました。
漢名「水仙」の音読みで「すいせん」。中国の古典「仙人は天にあるを天仙、地にあるを地仙、水にあるを水仙」の云われから。綺麗な花と芳香がまるで仙人のようであることから命名されました。
英名「ナルシサス」は、ギリシャ神話に登場する美少年の名前。泉に映った自分の姿に恋をして毎日見つめ続けていると1本の花になってしまいました。「ナルシスト」という言葉はここからきています。
花言葉は、「うぬぼれ」「自己愛」「エゴイズム」白花=「神秘」「尊重」 黄花=「私のもとへ帰って」「愛に応えて」 ラッパスイセン=「尊敬」「心づかい」など。
「其のにほひ 桃より白し 水仙花」/松尾芭蕉
「水仙や 寒き都の ここかしこ」/与謝蕪村
◇「黄梅」おうばい◇木犀科 ソケイ(ジャスミン)属
学名:Jasminum(ジャスミン)は、アラビア語の「yasmin(マツリカ)」の名に由来。別名:迎春花
原産は中国。江戸時代初期に渡来。開花時期は1月10日から3月20日頃。鮮やかな黄色の花が咲き、昔から鉢植えや盆栽などに利用されています。枝は横に伸びて地上を這う性質で、花が咲く時には葉は出ていません。
黄色い花が梅に似ていることと、同時期に咲くことから「黄梅」という名がついていますが、本来「梅」とは関係なく、ジャスミンの仲間ですが、香りはありません。
中国では、旧正月(2月)に咲き出すことから「迎春花・げいしゅんか」と呼ばれ、吉兆の花、めでたい花とされます。
花言葉は「恩恵」「優美」「控えめな美」など。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
東日本大震災発生から10ヶ月が経とうとしています。地震以来、気象の変化を感じます。北陸や東北の日本海側の豪雪などとは近年ありませんでした。私達の生活環境が変わるのかもしれません。
暮れから正月を経て、小寒の時期には水仙など冬の花の開花時期に重なって、例年だと道端の片隅に季節を感じられます。
今年はクリスマス以来、寒気団の拡張で、例年ににない豪雪と寒気です。木枯らしや吹雪では、さすがに長い時間、寒気を楽しむ余裕はありません。
朝の通勤時間に咳をしている方を見かけます。風邪の予防は手洗いうがいマスクに厚着です。読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白

正月三が日を「元三日:がんさんにち」と呼びますが、元日はその初日をさします。この日の朝を、特に「元旦:がんたん」・「歳朝:さいちょう」・「歳旦:さいたん」などと呼んで1年の始まりを寿ぎます。元日は、宮中の年中行事「元日節会:がんにちのせちえ」に由来します。元正天皇の霊亀2年(716)以来、文武百官を招いて年始を祝ったとされます。
一般の人達にとっては「年神:としがみ=歳神」が来臨するのを祝う「神迎え:かみむかえ」としての大切な行事でした。それぞれの家々には様々な祝い方があり、神社仏閣に初詣に行ったり、晴れ着をつけ屠蘇をいただき、御節料理や雑煮で祝ったりしてきました。
※「旦」は「朝」の意。元日の朝の時間帯を「元旦」と呼ぶのが正しい。
「正月」は「1年の初めの月」をいいますが、新年の祝いや行事をも指します。1月を正月と呼ぶのは、「正」が年の初め、年の改まるの意に由来します。そもそも「正月」は「盂蘭盆」と対応するもので、半年ごとに先祖の魂を迎えて祀る性質の行事でした。現在でも年頭墓参の行事が残っている地域もあります。
仏教の
影響が大きくなるにつれ、盂蘭盆は先祖の供養など仏教的行事の意味合いが濃くなっていきました。正月は神祭りとしての意味合いが強くなり、年神様を迎え新年の豊作を祈る月として、年神の祭りとして性格づけられるようになっていきました。正月1・2・3日を「三が日」、元日から7日までを「大正月」または「松の内」といいます。1月7日は「七日正月:なのかしょうがつ=七草の節句」、15日は「小正月:しょうしょうがつ=二番正月」、20日は「二十日正月:はつかしょうがつ=骨正月」と呼ばれ、それぞれを祝う風があります。一般に正月の終わりは20日とされています。
「新年」とは新しい年・1年のはじめをいいます。暦法によって様々ですが、太陽暦では冬至を過ぎた頃に設定され、旧暦(太陰太陽歴)では立春の頃としています。
「元日節会:がんにちのせちえ」は、朝廷の年中行事の一つ。正月1日、朝賀のあと天皇が文武百官を大極殿・豊楽院(紫宸殿)・豊明殿などに招いて、行った年始の宴会のことです。奈良時代の初めには行われ、明治維新までの1200年間も続いた行事です。天皇が豊明殿に出御されます。
はじめに諸司奏と称する諸国の豊作の吉兆を天皇に申し上げる儀式が行われ、中務省が七曜暦※を奉ります。
※七曜暦:「七曜具注暦」のことで七曜(日月火水木金土)が記入された暦。
次に、宮内省が「氷様:ひのためし」と「腹赤贄:はらあかにえ」を奉ります。氷様は、氷室に納めた氷を取り出してその厚さを天皇に申し上げる儀式で、氷が厚いほど目出度いとされました。腹赤とは鱒(ます)のことで、食いかけの鱒を順に取り伝え食べる儀式です。
後に、皇族・各将・各省大臣・各国大使などが饗座につき、三献の義、奏楽などが行われます。
■1月1日「年賀」です。■
「年賀:ねんが」とは、1月1日から3日の間に新年の挨拶を述べるために親戚や知人、上司や近所の人々を訪れる儀礼のことです。
古く村落社会では、家族親戚など血縁関係にある者などが本家に集まってともに大晦日を明かし、新年を迎えるというしきたりがありました。祖先の霊を祀り、五穀の豊作を祈って年神を祭り、一族郎党の団結を誓い合いました。血縁関係だけでは生活していけなくなると、地縁関係へとこの風習が広がっていき、年頭の挨拶に出向くという形になっていきました。
江戸時代には、商家の主人が、供の者に扇子などのお年玉を持たせて年始回りに出歩くのが、新年のしきたりになっていました。明治時代になると、人力車の普及とともに回る件数も多くなり、その多さを競い合う風潮もあったほどです。年始客は扇子や葉書などを持ち、日頃お世話になってる家々を回り、年賀を受ける側も正式な接客でもてなしました。普通、年賀の訪問は3日までの間ですが、遅くとも7日までには済ませるのが常です。
■1月1日「初詣」です。■
「初詣:はつもうで」とは、年が明け、初めて社寺に参拝することをいいます。氏神またはその年の恵方にあたる方角の神社仏閣にお参りをして、今年一年の無事と平安を祈る行事のことです。
「歳徳神」は「恵方神:えほうじん」とも呼ばれ、年によって異なった方位に宿るといわれています。その方位を「恵方:えほう」といいますが、その方位にある神社仏閣を参拝することを恵方参りといいます。古くは「年篭り:としごもり」といって、祈願の為に大晦日の夜から朝にかけて、氏神の社に篭るのが習わしでした。「御篭り:おこもり」とも。やがて、年篭りは除夜詣と、元日詣の二つに分かれ、初詣の原形となっていきました。現在でも、除夜に社寺に参拝したのち、一度家に帰ってから元旦になってまた参拝するというところもあります。
東京・明治神宮、鎌倉・鶴岡八幡宮、川崎・川崎大師、三重・伊勢神宮、京都・平安神宮など、全国の有名な社寺では、前日から出掛け除夜の鐘を聞き、その地で元旦を迎えるという光景が見られます。除夜詣と元日詣を一緒に済ませてしまおうというものでしょう。
■正月飾り、催事「四方拝」「元始祭」など■
◆「門松:かどまつ」とは、新年を祝って家の門口などに立てられる松竹の飾りのこと。松飾り・門の松とも。室町時代の僧・一休の歌に「門松は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」とあります。古くは木の梢には神が宿ると考えられていて、門松に年神をお迎えして祭るという意味を持っていました。しっかりと年神をお迎えしないと、その年は不幸になると信じられ、非常に重大な儀式でした。
◆「依代:よりしろ」とは、神霊が出現するときの媒体となるもののこと。門松の他、花・樹木・岩石、形代、よりましなど。榊(さかき)・栗・楢・椿などの木が使われます。門松の飾り方は様々ですが、本飾りは孟宗竹を斜めに切って松の木を添え、注連をかけた豪華な飾り。一般家庭では、松の小枝を門口の両側につけ、輪飾りをかけた簡単なものが使われます。
孟宗竹(もうそうちく)の原産は中国。淅江省より琉球を経由して渡来したもので「毛竹」と呼ばれます。国内では鹿児島に「江南竹林」の銘で渡来原株の末裔が残っているようです。孟宗とは「親孝行な息子」の意。真冬に竹の子が食べたいという母親の為に山に入って採ってきたものだから孟宗竹と呼ばれるそう。
新年を迎える飾り物は、年末のうちに飾りつけを済ませます。29日は「苦日飾り」、31日は「一夜飾り」といって嫌います。門松は正月6日の夕方に取り払います。そのため6日までを「松の内」と呼ぶようになりました。
◆「注連飾り:しめかざり」とは、正月などに門松や玄関・床の間・神棚などを、注連縄を張って飾ることをいいます。人間に災いをもたらすという「禍神」が家内に入らないよう、呪いとして飾られます。注連縄は左捻り(ひだりひねり)を定式としていますが、これは左を神聖視する旧来のしきたりです。輪飾りや大根じめ、牛蒡じめなどの種類や、縄に餅・昆布・松葉・魚などを飾るものもあります。
◆「鏡餅:かがみもち」は、まるく平たい鏡のように作った餅のことで、正月やお祝いのとき、大小2個の餅を重ねて、神仏に供えます。
古くから神仏の祭りには餅を供えるのが習わしです。昔の鏡は青銅のものが多く使われていて、装飾用というより神事などに使われ、宗教的な意味合いが濃かったのです。鏡餅は歴代天皇が継承する三種の神器のひとつ「八咫鏡」(やたのかがみ)を形どっているものといわれています。
鏡餅が一般にも普及し、現代のような形になったのは室町時代以降のこと。住居の建築様式が変わり、家に「床の間」が出来るようになって、床飾りとして普及しました。武士の家では、床の間に鎧・兜などの具足を飾り、鏡餅を供え、繁栄を願いました。鏡餅には、譲葉(ゆずりは)・熨斗鮑(のしあわび)・蝦・昆布・橙などを載せて飾るのが通例で、武家餅といわれるものです。
◆「幸い木:さいわいぎ」とは、正月に魚などを掛けるために、庭に渡す横木のこと。庭に六尺ほどの棒を横渡しして、平年には12本、閏年には13本を結んで飾り縄を吊るします。その縄に鯛の干し物・鰯・鰹節・するめ・昆布・大根・譲葉・橙など正月用の食品を吊り下げ、これを土間などに取り付け、正月に食べていくというもの。
九州や四国地方に多く見られました。現在でも長崎県五島列島一帯に見られます。関東でも竹に魚・野菜・昆布・炭などを吊るして、恵方棚の前に供える風習があります。幸い木には神が宿ると信じられています。また、門松の根もとに短い木を寄せて立てて飾る、割り木(薪)のことも「幸い木」といいます。
◆「破魔弓:はまゆみ」「破魔矢:はまや」「破魔」とは、仏教用語で悪魔を破滅すること。煩悩を消滅させるの意。正月に神社などへ参拝に行き、お土産に破魔矢・破魔弓を買うしきたりがあります。
生まれて初めて正月を迎える男の子には破魔弓を贈り、もらった家ではこれを新年に飾って祝う習慣もあります。のちに細長い板に弓矢を飾り付け、その下に戦人形などの押絵をはり、男の子の初節句の贈り物になりました。
昔は正月に行われる「破魔打ち」という「年占競技」(としうらきょうぎ)に使われていました。その年の運勢を占うもので、わらで作った的を投げて射落としたり、木の枝を投げて遮ったりして、境界線を超えたら勝ちという遊びです。しかし、危ない遊びであるからか現在はすたれてしまいました。また、破魔弓・矢は、家を建てる際の棟上式に、屋根の上に飾られます。
◆「お年玉」とは、もともと親類や内輪の目上の人から目下の人へ贈られる性格のもの。昔は餅を贈りました。
年の初めに贈り物をする習慣は、すでに室町時代には盛んに行われていました。金子・筆・硯・紙・酒・餅などの品物が用いられ、これをお年玉と呼んでいました。現在は年始先に子供がいれば、お年玉を贈ることが多い。子供に限らず、社員やお年寄りに贈っても、失礼にはなりません。商店では、年賀のしるしとしてタオルやカレンダーを配る風習があります。
◆「正月遊び」凧揚げ・独楽回し・双六・羽根突き・福笑いなど。歌加留多取りは、小倉百人一首の和歌を一首ごとに書いた読み札と、下の句のみを書いた取り札を使ってする遊び。「歌骨牌」(うたがるた)とも。
「三十人に余んぬる若き男女は二分に輪を作りて、今を盛りと加留多遊をするなりけり。込み合える人々の面は皆赤うなりて、白紛の薄剥げたるあり、髪の解れたるあり、衣の乱次く着崩れたるあり。皆狂して知らざる如く、寧ろ喜びて罵り喚く声...」とは、尾崎紅葉の名作「金色夜叉」の加留多会のくだり。
明治三十年代頃は、正月の加留多会が若い男女が一緒に楽しみ合える数少ない機会だったことは間違いありません。当時の歌加留多は「百人一首」で、草書など色々な書体で書かれていましたが、やがて「東京カルタ会」によって「標準加留多」が制定され、全国に流行していきました。
◆「御節:おせち」とは、正月や節句に作るご馳走やお供えのこと。「おせち」の語の由来は、年に5回、宮中で季節の節目に神前に食べ物を供えた節供(せちく)からきています。
◇「据わり鯛:すわりたい」=尾頭付きの焼いた鯛。二匹の鯛を腹合わせにして、頭と尾を高くかかげたもの。座鯛・坐鯛ともいいます。また、石持・鰯・鯖なども用います。真鯛(関西では本鯛ともいう)は、古くから日本で珍重されてきた「魚の王者」で、鯛は「めでたい」に通じることから縁起が良いとされています。
◇「開き豆:ひらきまめ」=水煮して大きくした大豆。また、皮を剥いて左右の実を離したもの。わざわざ開くという語句をつけるのは「開運」を意味し、縁起が良いとされています。
◇「開き牛蒡:ひらきごぼう」=生のまま細かく算木のように切った牛蒡。すりこ木で叩いた叩き牛蒡を用いることも。開き豆と同じように、開くは「開運」に通じ、縁起が良いとされています。
◇「数の子:かずのこ」=鰊の腹子。干し数の子と塩数の子があります。アイヌ語で「鰊の子」(カドのコ)が変化したもの。また、語呂で二親から多くの子供が生まれるからと縁起を担いだものです。多産・子孫繁栄の意。
◇「ごまめ」「田作り」=片口鰯の稚魚を真水で洗って干したもの。炒って飴煮にして食べます。健全を意味する「まめ」との連想からその縁起を担いだもの。また、片口鰯は田畑の肥料にされ、豊作になったことから「田作り」ともいいます。豊作祈念の意も。
◇「芋頭:いもがしら」=里芋の親芋のこと。魁とも書き、家の芋ともいいます。子芋をよくつけるため、子宝につながって縁起が良いとされています。頭(かしら)は、人の上に立つ「かしら」に通じ、縁起が良いとされました。
◇「黒豆:くろまめ」=「まめ」は丈夫の意。まめに暮らすとの願いが込められています。
※この他、昆布巻き・蒲鉾・なます・金団(きんとん)・蜜柑(みかん)など。
◆「若水:わかみず」とは、1月1日の早朝に井戸の水を汲んで神に供えること、またはその水のこと。元日の早朝、まだ人に会わないうちに汲みに行き、もし人に出合っても口をきいてはならないことになっています。
若水は邪気を除くと信じられ、福水・若井・初井・生華水などとも呼ばれます。年神への供え物や家族の食事を調えるのに使われます。若水を汲むのは年男の役目とされていました。汲む時は「黄金の水を汲みます」などど目出度い言葉を添えて縁起を担ぎます。
◆「若潮:わかしお」とは、1月1日の早朝に海水を汲んで神に供えること、またはその海水のこと。潮水のかわりに海藻を用いたり、塩で清めを行ったりすることもあります。
◆「四方拝:しほうはい」とは、もと祝祭日の中の四大節の一つ。元旦における宮廷行事の一つで、天皇が元日の早朝に「天地・四方」を拝する儀式です。元日の寅の刻(午前4時)、綾綺殿(りょうきでん)※で「黄櫨染※の袍:こうろぜんのほう」を着し、清涼殿の東庭に出御し、属星※、天地四方、父母の山陵を拝されます。
※綾綺殿(りょうきでん)=更衣所。
※黄櫨染(こうろぜん)=赤みがかった黄色に染めるもので、天皇の第一の正装のこと。
※属星(しょくじょう)=その人の運命を左右するといわれる星。その年の天災を祓い、五穀豊穣と宝祚長久・天下泰平を祈願する朝儀でした。
四方拝の起源は中国。日本では平安時代に宮中で取り入れられました。宮中にならって貴族や一般庶民にも広まり、元日の朝に四方を拝して五穀豊穣と無病息災を祈りました。明治以降は、皇居内の神嘉殿の南庭で「伊勢皇大神宮(内宮)」「豊受大神宮(外宮)」の二宮に向かって拝礼されたあと、東西南北に向かって四方の諸神を拝されるように改められました。
◆「元始祭:げんしさい」とは、もと祝祭日の中の大祭日の一つ。毎年正月3日、天皇が宮中の賢所・皇霊殿・神殿の三殿において親祭し、皇位の元始を寿ぐ儀式のこと。明治時代に皇室の祭祀に定められました。
明治3年1月3日、神祇官八神殿に八神、天神地祇、歴代の皇霊を鎮祭したことに始まります。皇室祭祀の中でも重儀と位置づけられ、明治41年制定の「皇室祭祀令」において大祭に加えられ、昭和2年の公布で祭日および祝日に定められました。戦後、国民の祝日から外されましたが、宮中では従来通り現在でも行われています。
■1月1日「歳旦祭」です。■
「歳旦祭:さいたんさい」は、戦前の祝祭日の中の皇室祭祀令に基づく小祭日の一つで、現在は新暦1月1日(元日)に、宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)で行われる年始を祝う祭祀です。
元日の「神嘉殿:しんかでん」南庭において天皇が親行する「四方拝」に続き、同日、早朝午前5時30分から宮中三殿において掌典職(しょうてんしょく)が祝詞をあげ、午前5時40分ごろ黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう=重要な儀式の際に着用する束帯装束の袍のこと)姿の天皇が拝礼し、黄丹袍(おうにのほう)姿の皇太子が続いて拝礼します。神宮をはじめ、全国の神社においては、皇統の繁栄と五穀豊穣と国民の加護を祈念する中祭として行われます。
■12月31日「大祓え」■
「大払い:おおはらい」「大祓え:おおはらえ」とは、今年一年を通して日常生活で大きい小さい、または知らずのうちに犯した罪穢れや、先祖の犯した罪穢れを除去して、災厄を回避する日のことです。
主に、6月晦日(末日)の「夏越の大祓え」、12月晦日(31日)の「年越の大祓え」を指します。
大宝律令(701年)において正式に宮中行事となりました。朱雀門前の広場に親王、大臣以下在京の百官を集め、大祓えの詞を読み上げて万民の罪穢れを祓いました。
「神祇令:しんぎりょう」※には、毎年6月・12月の晦日に朝廷で天皇以下全官人・官人の家族までを対象として執り行なわれる「二季恒例大祓」と、諸国で臨時に執り行なわれる「諸国大祓」とが登載されています。現在は、宮中の内部や神社の行事として執り行なわれます。
心身ともに清らかな状態にし、新年に歳神(としがみ)をお迎えして、歳の霊(としのたま=餅)を神さまと共に食し、良い一年にするものです。穢れ(けがれ)とは、新年には瑞々しく張りのあった「気」が、だんだん「枯れて」いく=「穢れ」としたもの。生命力を補給するものと考えられています。
戦前の数え年による年齢は、年越の大祓えを済ませ、新年を迎えた時、歳神さまからひとつ歳を頂くのです。元旦には、歳旦祭が執り行なわれます。元旦の朝には、神棚にお供えをして一年の計を祈願します。
※神祇令:「大宝律令」「養老令」の一部で、神祇信仰に基づく律令制国家の公的祭祀の大綱を定めた公的祭祀の大綱を定めたもの。それまでまとまった規則として存在していなかったものを編纂したもの。
第一条・常典総則、第二条~第九条・四時祭祀、第十条・天皇即位、第十一条・斎戒・致斎、第十二条・大中小祀、第十三条・践祚(皇位継承)、第十四条・大嘗祭、第十五条・所司申官、第十六条・供幣饌、第十七条・諸社供幣、第十八条・晦日大祓、第十九条・諸国大祓、第二十条・神戸とそれぞれ規定されている。
中国には、「祠令」、朝鮮には「祭祀志」という似た律令が存在する。
■12月31日「年越し」■
「年越し」とは、大晦日から元旦までの間、またはその間の行事のことをいいます。年越しの境目は「除夜:じょや」となります。
「除夜」は、年神を迎える為に心身を清め、一晩中起きているのが習いでした。昔は、年神を迎える神聖な「物忌みの夜」として、この夜、早く寝ると白髪になるとか、シワが寄るとかいわれていました。
青森県の上北部では、眠らずに元旦を迎える「尻枕:けつまくら」という習わしが残っているそう。家中で炉の周りに集まり、年の順に人のお尻を枕にして寝るというもの。また、青年達が除夜の鐘を合図に裸で海に飛び込むというのも、一年中の穢れを落として、歳神を迎えるための禊です。
年越しに酒や餅などを先祖に供え、御節などで特別な食卓につく風習があります。地方によっては麦飯や鶫(つぐみ)、樫鳥(かしとり)を食べる風習も残っています。鶫は「継身を祝う」の意。樫鳥は「貸し取り」の意で、上手にお金が取れるといわれ、商家、両替商・金融業の人が食しました。
「年越し蕎麦」もそのひとつで、大晦日の晩に家族みんなが寄り集まって、蕎麦を食べながら年を越す習慣です。起源は定かではありませんが、もともと江戸中期には毎月末に「そば切り」を食べる習慣がありました。蕎麦を食べるのは、蕎麦がよく伸びることから、命を延ばし財産を延ばすとことに通じるという語呂で縁起を担ぐものです。蕎麦が五臓の汚れを取るというので無病息災を祈願するの意でもあります。
元来、そば粉は「そばがき」のようにして食すのが普通でした。粘着力があるので江戸の職人達は大晦日の大掃除にはそばを練って「そば団子」を作り、それで部屋の隅々の小さなゴミやホコリを取っていたそうです。
金銀細工を生業にしている人にこの方法が珍重されました。そば団子で飛び散った金粉銀粉を掻き集め、その団子を七輪や火鉢の上で焼いて灰にすると、金や銀の粉だけが残ります。ここから「蕎麦は金を集める」という諺も生まれたほどです。
「大晦日」とは、一年最後の晦日(みそか)のことで、12月31日のこと。毎月の晦日を「つごもり」ともいい、大晦日は「おおつごもり」ともいいます。
かつての江戸や明治時代の東京では、大晦日のこの日、朝早くから夜遅くまで人通りも多く活気がありました。あちこちに「歳の市」が立ち、商屋では「新しいのれん」に掛け替え、暗くなれば軒提灯や高張提灯を出して、夜遅くまで商いを続けました。そして、町中を借金取りが駆け回ったそうな。歳の市には露店が並び、南天や福寿草などの植木も売られます。宮中では、大晦日には「節折り(よおり)の式」、「大祓」「除夜祭」が執り行われ、神社では「大祓の神事」が行われます。
■12月31日「除夜の鐘」■
「除夜の鐘:じょやのかね」とは、12月31日の除夜の12時をはさんで諸方の寺院で鐘を撞(つ)くこと。または、その鐘の音のこと。「百八の鐘」ともいわれるように、百八つ鳴らすことになっています。
この「百八つ:108っつ」という数字は、「人間には百八つの煩悩がある」という仏教思想に基づいたもの。百八の煩悩を払い、新年を迎えるといった意。百八つの煩悩を覚まし、仏道を成ぜさせる煩悩解脱を祈って鳴らすともいわれています。
この「百八つの鐘」は、大晦日だけとは限らず、寺院では朝夕108回鐘を鳴らすのを原則としています。但し、普段は略して18回にとどめます。暁に鳴らす「暁鐘:ぎょうしょう」は眠りを戒め、暮れに打つ「昏鐘:こんしょう」は目の眩んだ迷いを覚ますため。その響きを聴く者は、一切の苦から逃れ、悟りに至る功徳があるとされます。
鐘を108回も打つとなると、数えるのも大変です。数珠を使ったり、豆を用意したりして数えます。
数珠は「木患子:もくげんじ」※の実を貫き通して作られています。鐘をつく前に鐘に向かい、合掌礼拝してから撞木(しゅもく)を握ります。そして107声までは旧年に、最後の1声は新年に撞きます。
※木患子(もくげんじ):もくろじ科もくげんじ属。または栴檀葉菩提樹(せんだばぼだいじゅ)、本州日本海側の山林や崖地に分布。高さ10mになる落葉樹の高い木。7~8月に黄色の集団花を咲かせます。寺院等に植えられ、実はほおづき状になり、その中の種は黒く、数珠に使われます。
仏教では、そもそも人間の心身を苦悩させる煩悩は、108種類あるとされています。
一説には「108の煩悩」とは「眼・耳・鼻・舌・身・意の六根」が、「色・声・香・味・触・法の六塵」と関係するときに、それぞれ「苦楽・不苦・不楽の三種」があって十八種の煩悩となり、これを「染・浄」の二つに分け、この三十六種をさらに「過去・現在・未来」の三つに分けて108種となります。
人間の罪業消滅の意を込めて、鐘を撞くときには般若心経や観音経などのお経を唱えながら、心清らかに撞木を打ちます。
鐘の種類には「梵鐘:ぼんしょう」と「喚鐘:かんしょう」があり、梵鐘は「大鐘(おおがね)・釣鐘(つりがね)・鯨鐘(げいしょう)」などとも呼ばれます。喚鐘は勤行(ごんぎょう)や法会(ほうえ)などの開始を報じる小形の梵鐘(ぼんしょう)で半鐘とも。銅・錫・亜鉛など金属で造られます。
梵鐘の「梵」は、梵語(サンスクリット)のBrahma(神聖・清浄)を音訳したもの。中国、殷・周時代から制作されている「編鐘:へんしょう」という青銅器が梵鐘の源流と推定されています。
一般的な形状は、龍の頭を模った龍頭といわれる釣り手があり、下部には蓮華状の二個の突座があって、吊るした撞木(しゅもく)でここを叩きます。上部に乳房状の小突起が巡らされています。
日本にはじめて鐘がもたらされたのは、欽明天皇23年(562)に大将軍・大伴狭手彦(おおとものさでひこ)が高麗(朝鮮)に遠征した折、戦利品として三口の銅鋳鐘を持ち帰ったものとされています。
日本で鋳造の現存する最古の鐘は、文武天皇2年(698)に造られた京都の妙心寺のものと伝わります。
四方八方に鳴り響く荘厳な鐘の音は、それを聞く人々の心に温かい仏心を呼び起こします。除夜の鐘は人ばかりでなく、牛や馬や道具にまで仏心を及ぼして心休ませ、生き歳生ける者全ての歳取りをさせる風もみられます。
◇ ◇ ◇ 編集後記 ◇ ◇ ◇
クリスマスが終わり、早くも年末です。今年は東日本大震災でたくさんの方が被災しました。この寒さの中、仮設住宅で年を越す方々はさぞ辛いことでしょう。
人ごみで咳をしている方を見かけます。食あたりのような風邪が流行していますから外から帰ったら手洗い、うがい、マスクに厚着で予防です。
読者の皆様、今年一杯いっぱいお付き合いくださって有難うございます。懲りずに来年も配信して参ります。お付き合いください。
筆者敬白 合掌
◆◆二十四節気◆平成23年12月22日「冬至(とうじ)」です。◆
12月22日14時30分「冬至」です。旧暦11月、子(ね)の月の中気で、天文学的には太陽が黄経270度の点を通過するときをいいます。
冬至の日、太陽が南半球の最も遠い点ににあるため、日本のある北半球では、太陽の高さ(南中高度:太陽が南中した瞬間の高度※)が一年で最も低くなります。そのため昼が一年中で最も短く、夜が一番長くなります。
冬至線は「南回帰線」ともいい、南緯23度27分を走る線、太陽は冬至の日に、南回帰線の真上を通過し、以降ふたたび北上します。
冬至の日は冬の中間で、太陰太陽暦(旧暦)では冬至が暦の起源でとても重要でした。現在の太陽暦(グレゴリオ歴)では、春分点が起源とされ重要視されています。冬至を暦便覧でも「日南の限りを行て、日の短きの至りなれば也」と説いています。
この頃から次第に寒さが増します。年末近くに日本列島を通る低気圧は特に「年末低気圧」と呼び、本格的な冬将軍が訪れます。
昔からこの日を祝う風習があり、宮中では祝宴が催されます。庶民は冷酒に小豆粥や南瓜で祝い、ゆず湯に入る習慣が定着していました。
冬至と言えば「ゆず湯」です。「冬至」を「湯治」にかけて無病息災を願います。柚子は皮膚を強くする効能があります。また「柚子」から「融通が利く」という語呂を合せで願いが込められています。
「南瓜:かぼちゃ」には魔除けの意があり、冬至の日に食すると病い除けになるとされています。他には人参・金柑・銀杏など、呼び方に「ん」のつく食べ物を食すると「運気」が上がり幸運になるのだとか。中国では、餃子や湯圓(たんゆえん:あんの入った団子をゆでたもの)を食します。
※南中高度:太陽の南中高度は季節によってかわり、北半球では夏至に最も大きく冬至に最も小さい。
◆天文学的にみる「昼」とは◆
地球は、地軸を軌道面と垂直な方向から約23.4度傾けて太陽のまわりを自転しながら公転しています。
太陽は、天の赤道から約23.4度傾いた黄道上を、1年かけて一周するように見え、太陽の赤緯が変化します。夏至の頃、北半球では昼が最も長くなり、南半球では最も昼が短くなります。反対の冬至の頃には、この逆になるのです。日本が冬至の日は、南半球は夏至にあたるということです。
昼と夜の長さの変化は、高緯度地域になるほど大きくなり、太陽がまったく沈まず一日中昼になる「白夜」と、太陽がまったく昇らない一日中夜となる「極夜」が生じます。冬至の日は、北極圏全域で極夜となり、南極圏全域で白夜となります。ちなみに、赤道付近では、昼と夜の長さはほとんど変化しません。
日の出、日の入りが「太陽の上端が地平線または水平線に重なった瞬間」と定義されていることから、地平線や水平線付近では、大気の影響で「太陽が実際よりも上」に見えることから、春分・秋分の日でも、昼と夜の長さは等しくならず、昼が少しだけ長くなります。
◆冬至の南中高度の計算◆
東京の緯度は「北緯35.5度」です。これに地球の傾き23.5度をプラスして、90度を引く。南中高度は31度になります。ちなみに、札幌は23度、沖縄は40度です。
実際の日照時間は、夏至の頃より冬至の頃のほうがやや多いのですが、南中高度による太陽の照射角度の影響で寒いのです。

◆◆「七十二候」◆◆
◆初候「乃東生」(ないとう しょうず)
◇草木いずれも枯れている中で、夏枯草のみが緑の芽を出し始める時節。乃東=夏枯草(かこそう)の古名。冬に緑の芽を生じ、夏に枯れるのでこの名が付いています。
◆次候「麋角解」(びかく げす)
◇大鹿が角を落とす。
◆末候「雪下出麦」(せつか むぎを いだす)
◇いちめん雪に覆われていても、その下では、麦が芽を出し始める時節。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
今年は3月の東日本大震災から10か月が経過していますが、いまだに復興の兆しが見えません。この寒さを、仮設住宅で過ごす方々は、さぞつらい冬になるでしょう。
年末は「クリスマス」を過ぎると、正月飾りに切り替わります。
カレンダーの上では12月の次には1月が来るのは、当たり前ですが、年末には大掃除をして新しい年を迎える準備をします。一家総出で掃除することよって年の終わりを演出します。これは日本人のケジメのつけ方とされています。
私たちは、日本の文化を習慣的に実践しています。日本の良い習慣は次の世代につないでいきたいものです。
冬至から寒さが本格化します。読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白
◆◆二十四節気◆平成23年12月7日「大雪」(たいせつ)です。◆
12月7日20時29分「大雪」です。旧暦11月、「子(ね)の月の正節」で、天文学的には太陽が黄経255度の点を通過するときをいいます。
山の峰は積雪に覆われ、雪が激しく降り始める頃「大雪」です。平地でも木枯らしが吹き、山の峰は積雪に覆われ、平地でも雪が降り始める頃です。暦便覧には「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也」と説いています。
これからの時期、日本海側と太平洋側では対照的な気候です。日本海側で大雪になれば、太平洋側では晴天になり、関東・中部・関西の平野部では乾いた風が吹きます。これは冬型の気圧配置のしわざです。日本海側で大雪を降らせる雲は入道雲で、大雪になる前には雷が鳴り響き、これから雪の兆しです。
冬になってから初めての雷を「雪起こし」と呼びます。富山地方では「鰤(ブリ)起こし」と呼び鰤の豊漁の知らせとされてきました。
雪国では雪の便り、南では冬の花「椿」が開花し、いよいよ冬将軍の到来が報じられます。冬の魚、ブリやハタハタの漁が盛んになり、山では熊や動物が冬眠します。南国では南天のが赤く色づく頃です。
◆◆「七十二侯」◆◆
◆初候「閉塞成冬」(へいそくして ふゆとなる)
◇天地の気が塞がって真冬となる時節。閉塞す=ふさがる
◆次候「熊蟄穴」(くま あなに ちっす)
◇熊が冬眠のため自分の穴に隠れる時節。蟄れる(かくれる)=「こもる」は古訓で、動物が土中に隠れるの意。
◆末候「ケツ(魚へんに厥)魚群」(けつぎょ むらがる)
◇鮭が群がり、河川をさかのぼって行く時節。ケツ=さけ、または淡水魚の「追河・おいかわ」(やまべなど)とも。

「ポインセチア」 灯台草科 ユーフォルビア属 学名・ Euphorbia pulcherrima
アメリカ駐在のメキシコ大使「ポインセット氏」が、メキシコからアメリカに持ち込んで広まったことからこの名前が付きました。ポインセチアは観賞用ではなく、茎を切ったときに出る白い乳液を解熱剤として使うなど、医療用に栽培していました。
アメリカから渡った欧州では、クリスマスにキリストの血の色(赤)を飾る習慣があります。この時期に苞葉の赤色が最高に美しく、下葉の緑と調和し、花の中にある蜜腺の黄色が鈴の金色の役割りを果たしていることから、クリスマスに用いられるようになりました。欧米では「クリスマスフラワー」と呼ばれます。
日本には明治時代に渡りました。真っ赤な花は、大酒飲みの赤い顔に似ていることから、猩猩木※(しょうじょうぼく)とも呼ばれました。
※猩猩は中国の想像上の動物で、猿のような顔で毛は紅色。
花言葉「聖なる願い」「私の心は燃えている」など。深みのある赤い苞葉は「愛情」をあらわします。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
3月11日に東日本大震災に見舞われた今年、早くも12月です。12月7日から師走節に入り、街はクリスマスの様相です。昨年はこの時期、各地でイルミネーションが燈りました。昨年は一昨年よりも多い90万個の発光ダイオードで、明るくにぎやかな外路地に変身しましたが、震災のあった今年は節電の影響で、控えめなイルミネーションです。
今年は厳しい冬の予感の中「大雪」を迎えます。例年だと、これからインフルエンザが流行しますので、早めに予防摂取をお勧めします。予防には手洗い、うがいが一番です。外出の際にはマスクをお忘れなく。
読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白
◆◆二十四節気◆平成23年11月23日「小雪(しょうせつ)」です。◆
11月23日1時08分「小雪」です。旧暦10月、亥(い)の月の中気で、立冬後15日目。天文学的には太陽が黄経240度の点を通過するときをいいます。
小雪(しょうせつ)とは、寒さいまだ深まらず、雪いまだ大ならざるなりの候、小雪は字の如く「雪はさほど多くない」という意味です。暦便覧では「冷ゆるが故に雨も雪と也てくだるが故也」と説いています。
降っても雪は多くはないものの、遠い山嶺の頂きを眺めると白銀の雪が望めます。みかんが黄ばみはじめ、収穫の頃です。 紅葉は終りを告げ、寒さは徐々に厳しくなります。朝夕の木枯らしは、冬の到来が近いと感じる頃です。
立冬から小雪にかけて日光輪王寺、彦根城、姫路城など、名勝旧跡で松ノ木に「こも巻き」をしたり、兼六園、浜離宮では「唐崎松」を最初に「雪吊り」をして冬の備えの便りが届きます。
****小春日和****
小雪の候「小春日和」は風のない陽気のいい日和のことで旧暦の10月頃です。寒いけど麗(うら)やかな空を「小春空」、寒い日々の中でも暖かな日和の日を「小春日和」、ちなみに湖畔や海の波のおだやか状態を「小春凪(なぎ)」と呼びます。
****木枯らし****
また小雪の頃、日ごろから木枯らしが吹きます。地域の季節風にはそれぞれ呼び名があり、西日本の「乾風(あなじ)」東海道の「べっとう」など主に「颪(おろし)」と呼ばれています。関東の赤城颪・筑波颪・関西の六甲颪や富士颪など山から平地に吹き抜ける空っ風のことで、この季節から冬にかけて吹く木枯らしです。
おだやかな「小春日和」もあれば、木枯らしの日もあります。これからの厳しい冬を予感しているようです。
◆◆「七十二候」◆◆
初候◆「虹蔵不見」(にじ かくれて みえず)
◇虹を見かけなくなる時節。
次候◆「朔風払葉」(さくふう はを はらふ)
◇北風が木の葉を払いのける時節。朔風(さくふう)=北から吹いてくる風。北風。朔吹とも。
末候◆「橘始黄」(たちばな はじめて きなり)
◇ようやく橘の葉が黄葉し始める時節。 黄ばむ=黄葉する。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
今年の冬は全国的に節電で、例年とは違うエコ暖房を求められています。石油ストーブは飛ぶように売れていて、変り種では七輪や練炭、豆炭あんかなども都市部で販売されています。また、津波、原発事故以来途絶えていたアジア圏からの観光旅行者が、戻りつつあると報道がありました。景気も「春遠からじ」といったところでしょうか。
読者の皆様。樹木も越冬に備えて冬支度です。日ごろから薄着でお風邪などお召しにならないよう、お体ご自愛専一の程
筆者敬白
◆◆二十四節気◆平成23年11月8日「立冬(りっとう)」です。 四季の「冬」に入る初めの節気で、太陽の光もいちだんと柔らかく感じ、日足も目立って短くなります。北国からは山の初冠雪の便りが届き、冬の気配が伺えるようになります。 夕ぐれの訪れが早く感じ、枯らしが吹きます。また、山では綿雲(積乱雲)が発生し、時雨がしとしと降ります。雲の流れが速く、見事な虹が出てはまた雨が降る時雨虹が望めます。これに出会うと空が語りかけているようです。 季節の花、さざんか(山茶花)が可憐に咲き始めます。北国では大地が凍り始めます。 暦便覧では「冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也」と説いていて、「立冬」は、「冬立つ」「冬来る」などとともに冬の代表的な季語になっています。 ◆◆「七十二侯」◆◆ ◆◆「11月の花」◆◆ 椿(つばき)の漢名(中国名)で、山茶花(さんさか)が茶山花(ささんか)、そして「さざんか」と変化し、間違ったまま定着してしまいました。 花は良い香りで、花びらは一枚ずつ散ります。寒椿と開花時期がほとんど一緒で、葉も花も同じようでなかなか見分けが付きませんが、山茶花は背丈が高く、花びらの数は5~10枚程度で少なめです。花びらはシワになります。寒椿は背丈が高くならず、花びらの数は14枚以上でシワになりません。寒椿は公害に強いので道路の植え込みなどに植えられます。
11月8日3時35分「立冬」です。旧暦10月、亥(い)の月の正節で、天文学的には太陽が黄経225度の点を通過するときをいいます。
◆初候「山茶始開:さんちゃ はじめて ひらく」
◇山茶花(さざんか)の花が咲き始める時節。山茶(さんちゃ)=「つばき」と読みます。山茶は「つばき」の漢名。※諸説の中で、日本では時雨忌があることから「さざんか」をさすという説が有力です。
◆次候「地始凍:ち はじめて こおる」
◇大地が凍り始める。大地が凍り始める時節。
◆末候「金盞香:きんせん こうばし」
◇水仙の花も咲き出す時節。「金盞:きんせん」=水仙の異名。正しくは「きんさん」と読みます。金盞銀台(きんさんきんだい)とは、水仙の花の咲く様をいったもの。金盞は「黄金の杯」のこと。
◇「山茶花」さざんか つばき科つばき(カメリア)属
開花時期☆10月10日~翌2月10日頃。晩秋から初冬にかけて咲き出します。原産地は日本。江戸時代に長崎からヨーロッパへ持ち出され、西欧で広まりました。学名・英名ともに「サザンカ」です。
「山茶花を 雀のこぼす 日和かな」(正岡子規)
◇「金盞花」きんせんか 菊科 カレンデュラ属
Calendula(カレンデュラ)の語源は、ラテン語のCalendae(毎月の第1日)。どの月の初めにも咲いているほど花期が長いことからそう呼ばれます。「カレンダー」の語源でもあります。
原産は地中海沿岸。江戸時代に中国から渡来。ハーブの一種で、古くから食用や薬用に使われてきました。薬用には虫刺されの薬として利用されます。また、サフランの代用で着色料や髪染めにも使用されました。
花は黄金色で「盞:さかずき」のような形をしていることから金盞花といいます。また、隋国の統一前、梁の国の魚弘という人が、賭けすごろくに勝った時に金銭より「珍しい花」をもらいたいといい、この花をもらったので、この花を「金銭花」と呼んだそうです。その後「金銭花」が「金盞花」に変化しました。
花言葉は「慈愛」「悲しみ」「静かな思い」など。
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
立冬から本格的な冬に入ります。四神相応図では冬の色は黒で守護は玄武で、やがて来る春に備えて力を蓄える時期です。
例年この時期から、風邪やインフルエンザが流行します。早めに予防接種をしましょう。
今年は全国的に節電の冬で、暖房には、電気を使わない石油ストーブや省エネ暖房器具が必用とされるようです。油断からお風邪などお召しにならないよう、お体ご自愛専一の程
筆者敬白
【平成23年11月】「今月の展望」と「今月の祐気採り方位」抜粋
平成23年11月からの「今月の展望」 と「今月の祐気採り方位」 を掲載しました。抜粋を掲載しておきます。ご興味のあるかたは「季節のお便り」 からご覧ください。
特に11月は変化の年です。大きな判断、商談、縁談、旅行、休暇など企画している方は必見です。
祐気採り(お水取り)吉方位採りをなさっている方は、11月の採水日採水方位を掲載してあります。
11月8日~12月6日(節月 立冬~大雪の前日)
二十四節気 「立冬」りっとう「小雪」しょうせつ
今月の干支 「己亥」つちのと・い
今月の九気 「八白土気」はっぱく・どき
◆◆「今月の展望」◆◆ (←クリック)
◇変化の月◇中宮「八白土気」の代表する象意は、変化、改革、停止、打開、相続、後継、内輪ですが、これら革新の月として、何らかの変化が起こる月となります。
◇組織の手直し結束◇政治や経済面の改革、組織の見直し、根本的な方針の切り替えなどの要求が強まります。企業や家庭においても、組織や身内の結束の手直しが必要になり、それによって身内意識が高まり、活性化されることでしょう。
団体や組織、家族ぐるみの行動が盛んになり、相続や後継者の問題に目が向きます。庶民の買い物は「まとめ買い」が流行します。
◆◆「11月の祐気方位」◆◆ (←クリック)
◇採水日◇--------------------------------------
11月12日(土)、21日(月)、30日(水)
◇採水時間◇------------------------------------
午後1~3時(未の刻)
※開運効果が特に高い日時ですので、採水をおすすめしております。採水とは、神社等の湧き水を取ることをいいます。また、この時間は明石標準時です。
◇祐気方位◇-----------------------------------
◎一泊以上可 ○一日程度 △半日程度
一白水星=◎北 ○南
二黒土星=◎北西
三碧木星=○北西
四緑木星=○北西
五黄土星=◎北西
六白金星=ありません
七赤金星=ありません
八白土星=○北西
九紫火星=◎南 ◎北
※その他すべて凶方位です。
◆◆二十四節気◆平成23年11月8日「立冬(りっとう)」です。 ←クリック
11月節の始まりが「立冬」です。
11月8日3時35分「立冬」です。旧暦10月、亥(い)の月の正節で、天文学的には太陽が黄経225度の点を通過するときをいいます
■10月24日 二十四節気「霜降(そうこう)」です。■
10月24日3:30「霜降」です。旧暦9月、戌(いぬ)の月の中気で、天文学的には太陽が黄経210度の点を通過するときをいいます。
「霜降:そうこう」とは、秋も末の霜が降りる頃の意で「しもふり」ともいいます。
この頃、露が冷気によって霜となり降り始め、ひっそりと秋が深み往き、もの寂しい風趣がところどころに醸されます。冷え込む早朝には霜を見るようになり、一歩づつ冬の到来が感じられるようになります。晴れた日に時折り小雨ほどの秋雨が降り、楓や蔦の葉が見事な紅葉を見せ始めます。
霜降の頃を暦便覧では「露が陰気に結ばれて霜となりて降るゆゑ也」と説いています。
霜降から立冬までの間に吹く地を這う寒い北風を「木枯らし」と呼びます。

◆七十二候◆
◆初候「霜始降」(しもはじめてふる):霜が始めて降る。
◇田園にも霜が降り始める時節。
◆次候「霎時施」(しぐれときどきほどこす):小雨がしとしと降る。
◇秋も終わりとなる頃で、小雨がしとしとと降ってわびしい時節。霎(そう)=こさめ。雨の音が本意。施す=広い範囲に行き渡らせる。
◆末候「楓蔦黄」(ふうかつきなり):紅葉(もみじ)や蔦(つた)が黄葉む。
◇紅葉や蔦の葉が黄葉する時節。黄ばむ=黄葉する。
◇◇◇◇編修後記◇◇◇◇
霜降の時期は秋から冬への「土用」の時期です。この時期は無理に問題を解決しようとせず、受け流すことが肝要です。土用の万物が腐する作用で、問題が混とんとしてしまいます。
無理をせず受け流す余裕を身につけましょう。
今年は三の酉まである年です。酉の日の参拝と火廻要慎をこころがけましょう。
皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白
◆二十四節気◆平成23年10月9日「寒露(かんろ)」です。
10月9日0時19分「寒露」です。旧暦9月、戌(いぬ)の月の正節で、秋分から15日目にあたります。天文学的には太陽が黄経195度の点を通過するときをいいます。
寒露とは、野草に宿る冷たい露のこと。この頃になると秋も一段と深まり、朝晩は寒気を感じ始めます。山野には晩秋の色どりが濃くなり、櫨(はぜ)※の木の紅葉が美しい頃。雁などの冬鳥が渡って来て、菊が咲き始め、コオロギが鳴きやみます。
暦便覧では、「陰寒の気に合つて露結び凝らんとすれば也」と説明しています。
「観天望気:かんてんぼうき」風や雲の動きや形で、これからの天気を予測することです。天気の諺では「朝焼けは雨の予兆・夕焼けの翌日は晴れ」といったものが有名、「秋の夕焼け鎌を砥げ」秋の夕焼けの翌日は、天気がいいから収穫が出来るように鎌を研いで用意しようといった意です。 寒露の頃は、五穀の収穫も最盛期に入り農家では繁忙を極めます。
先人は天気とともに生活をしていました。積乱雲でもすじ雲・イワシ雲・ヒツジ雲など天気の下り坂を予期したものです。
※「櫨:はぜ」は、うるし科うるし属。6月頃に円錐状の黄緑色の小花を咲かせます。雄株には灰色の小果が実り、これから蝋(ろう)が取れます。山漆(やまうるし)によく似ていて触るとカブレるので注意。
天正年間(1570年頃)に中国から種子で伝わり、蝋燭の原料として筑前で栽培され九州一円に広まりました。櫨の紅葉は、赤色がモミジより美しく鮮やか
◆◆「七十二侯」◆◆
◆初候「鴻雁来:こうがんきたる」雁が飛来し始める。
◇雁が飛来し始める時節。鴻雁=秋に飛来する渡り鳥のがん。鴻鴈とも。「鴻」はがんの大型で「雁」はがんの小型のものをいいます。また、鴻雁は大きながんを指す。
◆次候「菊花開:きくかひらく」:菊の花が咲く。
◇菊の花が咲き始める時節。
◆末候「蟋蟀在戸:しつそくこにあり」:蟋蟀が戸の辺りで鳴く。
◇蟋蟀(きりぎりす)が戸にあって鳴く時節。蟋蟀(しっしゅう)=きりぎりす。促織(しつそつ)とも。こおろぎ、いどとの異名とも。
◆◆「10月の花」◆◆
「菊」 きく科きく属 学名:クリサンセマム ギリシャ語のchrysos(黄金色)+ anthemon(花)が語源。
開花時期は10月20日~12月20日頃。平安時代に中国から渡来しました。その後、改良が重ねられ多くの品種が出来上がりました。
「きく」は「菊を音読み」したもので、菊の字は「散らばった米を一箇所に集める」の意。菊の花弁を米に見立てたもの。「菊」は究極・最終を意味し、1年の終わりに咲くことからそう名付けられました。
菊花展で見かける大輪の菊は「厚物」(あつもの=大輪もの)、「管物」(くだもの=細い花びらのもの)に分けられます。
中国では「菊」は不老長寿の薬効があると信じられ、陰暦9月9日「重陽の節句」には菊酒を酌み交わし、長寿を願いました。これが日本に伝わり「重陽の宴」が催されるようになりました。後に菊は「皇室の紋章」となり、日本の国花になりました。
花言葉は「思慮深い」「真実、元気」「いつも愉快」「私はあなたを愛する」など。
◆◆「秋の七草」◆◆
「秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびおり)かき数うれば 七種(ななくさ)の花 萩の花 尾花葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝顔の花」
(山上憶良/万葉集)
★萩(はぎ)=豆科はぎ属。花は豆のような蝶形花。枝や葉は家畜の飼料や屋根ふきの材料。葉を落とした枝を束ねて箒(ほうき)に。根を煎じて眩暈やのぼせの薬にするなど人々の生活にも溶け込んでいました。
★薄(すすき)=稲科すすき属。収穫した物を悪霊から守る力があるとされます。屋根材の他に炭俵、家畜の餌などに利用されます。別名:尾花(おばな)。
★桔梗(ききょう)=ききょう科ききょう属、紫または白の美しい花。漢方では太い根を干して咳や咽喉の薬に。薬用成分のサポニンを含有し、昆虫にとっては有毒なため昆虫からの食害から自らを守っています。
昔から武士に好まれたようで、家紋に取り入れられました。「桔梗の間」「桔梗門」など。万葉集に出てくる「朝顔」は、この桔梗のことであるといわれます。
★撫子(なでしこ)=なでしこ科なでしこ属、ピンク色の可憐な花。我が子を撫でるように可愛いことから、この名前が付きました。この花は「ピンク」という色の語源になっています。
中国から平安時代に渡来した「唐撫子」(からなでしこ)に対して、在来種を「大和撫子」(やまとなでしこ)と呼び、日本女性の美称に使われます。
★葛(くず)=豆科くず属、周囲の木をツルで覆ってしまう程の生命力。大和の国(奈良県)の国栖(くず)が葛粉の産地であったことから。「葛」は漢名。ツルの部分は「葛布」の原料。
根は多量の澱粉を含んでいて、漢方薬で使われる「葛根」(かっこん:解熱作用)の原料です。葛粉、葛餅など。
★藤袴(ふじばかま)=菊科ふじばかま属。花の色は藤色で、花弁の形が袴の形をしている。桜餅のような香り。平安時代の女性は、干した藤袴の茎や葉を水につけて髪を洗いました。また、防虫剤や芳香剤、お茶などにも利用していました。
★女郎花(おみなえし)=おみなえし科おみなえし属。山野に生える黄色い清楚な花。「おみな」は「女」の意。「えし」は古語「へし(圧)」のことで、美女を圧倒する美しさから。
餅米で炊く御飯「おこわ」を「男飯」と言ったのに対し「粟(あわ)御飯」のことを「女飯」と言っていましたが、花が粟粒のように黄色く粒々していることから「女飯」を「おみなめし」「おみなえし」と言うようになったという説もあります。
「女郎花」と書くようになったのは平安時代の中頃。因みに「男郎花」という花もあります。
◆1月7日、春の七草「七種菜羹:しちしゅさいのかん」を食べ無病を祈る風習で「食」に関するものですが、秋の七草は「花を楽しむ」ことに所以しています。
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
秋は天気は「女心と秋の空」、移り変わりが激しい例えです。また、各地で翌日の天気を予見する言い伝えが数多く残っています。それを知っているのが当地出身ということなのでしょう。
秋は台風来襲、上陸することがあります。台風12号15号は日本列島あちこちで大変な被害でした。土砂ダムの決壊など心配されます。
台風が通り過ぎるのを待って、台風一過、秋の青空を眺めたいものです。
野田政権の観天望気:復興優先、増税論議は後回し、安心して晴耕雨読したいものです。
朝夕、冷え込みがきつくなってきました。読者の皆様、時節柄お体ご自愛専一の程
筆者敬白
◆二十四節気◆平成23年9月23日「秋分(しゅうぶん)」です。
9月23日18時05分「秋分」です。旧暦8月「酉」(とり)の月の中気で、新暦9月23日頃。天文学的には、太陽が黄経180度の「秋分点」を通過するときをいいます。
秋分点とは、黄道と赤道が交わる点のうち、赤道の北から南へ向かって太陽が横切る点のこと。この日、太陽は真東から昇り、真西に沈みます。昼と夜の長さがほぼ等しいと言われていますが、実際には秋分から3日後です。「暦便覧」では「陰陽の中分なれば也」と説明しています。
北の方から冬篭りの準備を始める頃です。残暑の名残も感じられますが、秋分を過ぎると日に日に肌寒さを感じます。北のほうから紅葉の便りが伝えられるようになり、もみじの色づきが始まります。例年北海道では大雪山の初冠雪が観測される時期です。
また、この日は「彼岸の中日」にあたります。彼岸の名称は、仏典の「波羅蜜多:はらみつた」という梵語の漢訳「到彼岸:とうひがん」という語に由来します。「現実の生死の世界」から煩悩を解脱し、生死を超越した「理想の涅槃の世界」へ至るの意。煩悩や迷いに満ちたこの世「此岸:しがん」に対して、向こう側の悟りの境地を「彼岸:ひがん」といいます。
お彼岸の頃になると、寒暑ようやく峠を越して凌ぎ易くなってくることから「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉が使われるようになりました。
■「七十二候」■
◆初候「雷乃声収」(らいすなわちこえをおさむ)◇雷乃ち(すなわち)声を収む。雷が鳴り響かなくなる時節。
◆次候「蟄虫坏戸」(ちゅっちゅうこをはいす)◇蟄虫(ちっちゅう)戸を坏(とざ)す。土中の虫が土で穴の隙間を塞ぐ時節。坏(つき)=ふさぐ。
◆末候「水始涸」(みずはじめてかる)◇水始めて涸(か)る。※水田の水を干しはじめ、収穫に備える時節。涸る(こる)=水が尽きる。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
去年のコメントに「この時期は、残暑厳しく未だ夏の延長のような日々が続いています。」とありました。今年も同じような残暑です。徐々に温暖化が進んでいるのでしょう。私たちは将来の為にも、エコを身に着けなければいけないようです。
いまだに残暑が厳しくても、季節は少しづつ秋に向かっています。外路地の広葉樹が色づき始め、 落ち葉の気配です。
秋分の「昼と夜の長さが等しい」に掛けて、均衡をを失っている陰陽をバランスして頂きたいものです。
読者の皆様、朝晩は冷え込みます。お体ご自愛専一の程
筆者敬白
■9月20日「彼岸」入り です。■
「彼岸:ひがん」とは暦上の雑節の一つです。春は「春分の日」を挟んで前後3日づつの計7日間、秋は「秋分の日」を挟んだ前後3日づつの計7日間のことをいいます。彼岸の初めの日を「彼岸入り」といい、中日を「彼岸の中日」、終わりの日を「彼岸明け」といいます。また、彼岸に行われる春・秋の彼岸会のことを指す場合もあります。
彼岸は、暦の上で昼と夜の長さが等しい春分・秋分の日に真西に陽が沈むことから、仏教の西方浄土と関係づけられたといわれています。お彼岸には先祖の霊を供養し墓参が行なわれますが、これは日本独自の風習に仏事が結びついた日本独特のものです。
彼岸の頃になると、寒暑ようやく峠を越して凌ぎ易くなってくることから「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉が使われるようになりました。
***彼岸伝来***
遥か彼方の「極楽浄土」に思いを馳せたのが、彼岸の始まりです。中国伝来の念仏「心に極楽浄土を思い描き、浄土に生まれ変わることを願う」の意で、日本には、大同1年(806)崇道天皇(早良親王)の慰霊が行われたのが始まりです。法要を営み祖先を祀る行事へと変化していきました。
***此岸(しがん)と彼岸(ひがん)***
彼岸の名称は、仏典の「波羅蜜多:はらみつた」という梵語の漢訳「到彼岸:とうひがん」という語に由来します。「現実の生死の世界」から煩悩を解脱し、生死を超越した「理想の涅槃の世界」へ至るの意です。煩悩や迷いに満ちたこの世「此岸:しがん」に対して、向こう側の悟りの境地を「彼岸:ひがん」といいます。
***四方・八方・十方世界***
仏教では「四方:しほう」=東西南北と、「四維:しい」=南東・南西・北西・北東の八方位に、上下を加えた十方世界(じっぽうせかい)を説き、そこに諸仏の浄土を描く十方浄土を観念します。「浄土」は仏の住む処で、成仏する為に精進する「菩薩の世界」です。
法華経では「この娑婆世界を変じて瑠璃地の清浄世界と変ず」と説きます。この世で生きながら、心が清浄であれば、それが清浄の土であるという。毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)(奈良東大寺)の蓮華蔵世界です。
★東方浄土=薬師如来
★南方浄土=釈迦如来
★西方浄土=阿弥陀如来
★北方浄土=弥靭菩薩
病のため出家した藤原道長は、九体の阿弥陀如来像を安置した京都の無量寿院にて、仏像の手から延びる五色の糸を握り締め、西方浄土の極楽往生を信じつつ臨終しました。この姿から仏教信仰と方位観との具体的な結合がみてとれます。
後に、道長の子の藤原頼道が天喜元年(1053)建立の宇治・平等院の鳳凰堂(阿弥陀堂)には、阿弥陀如来像が安置され「極楽いぶかしくば宇治の御堂をうやまへ」と云われました。
平等院の庭と建物は極楽浄土を表し「浄土庭園」と呼ばれます。
鳳凰堂の前を流れる宇治川は「彼岸の河」に見立てられ、「来世(彼岸)西方浄土(鳳凰堂)」と「現世(此岸)宇治川の対岸」という仮想の世界が現されています。彼岸の中日夕刻には鳳凰堂の中央背後(西方)に日が沈みます。
ちなみに平等院鳳凰堂は国宝に指定されています。一万円札の鳳凰図は、鳳凰堂の屋根の鳳凰をデザインしたものです。
***ほたもち・おはぎ***
彼岸の供物として作られる「ぼたもち」と「おはぎ」は、米を炊いて軽くついてまとめ、餡で包んだもの。春は「牡丹の花」が咲くことにちなんで「牡丹餅」、秋は「萩の花」が咲くので「御萩」と呼びます。
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
経営者の皆様、管理職の皆様、お彼岸を機会に墓参に出向きましょう。育ててくれた両親・祖父母なら、この経済局面、天災、事故の処理をどう乗り切るだろうか。など、日頃声に出せないものを、墓前で問いかけてみましょう。亡き先祖の叡智が心に届くことでしょう。
読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白
◆二十四節気◆平成23年9月8日「白露(はくろ)」です。
9月8日8時34分「白露」です。旧暦8月、酉(とり)の月の正節で、天文学的には太陽が黄経165度の点を通過するときをいいます。新暦9月7日か8日頃。秋分前の15日目にあたります。
白露は「しらつゆ」の意です。
二十四節気による四季の区分では、秋の中旬「仲秋:ちゅうしゅう」にあたります。暦便覧には「陰気やうやく重りて、露こごりて白色となれば也」とあります。
陰陽五行説によると、「秋」は金の五時で方位は西、色は白です。 白露の時期とは、秋雨の時期を表わす「露」と五行説での秋色の「白」で白露です。また白は無色なので秋の風を特に「色無き風・金風」と呼びます。
秋気も本格的になりはじめ、大気が冷えて野草にしらつゆが宿り、秋を感じさせます。鶺鴒(せきれい)が鳴き始め、燕(つばめ)が去って行きます。
≪鶺鴒≫
セキレイ=セキレイ科。羽色が鮮やかで、嘴が長い鳥。キセキレイ、セグロセキレイ、ハクセキレイの三種。全長20cm前後の半分は尾。スズメよりやや大きく、ムクドリよりやや小さめで細身です。
体は黒白、又は黄と黒色で、尾羽を上下に振りながら歩くのが特徴。山地の川・海岸・水田などの水辺に住み、昆虫などを捕食します。
≪燕≫
ツバメ=スズメ目ツバメ科。全長約17cm。背が黒く、赤いノドと額を持つ。飛行する昆虫を空中で捕食します。日本には3月下旬~4月上旬に飛来。繁殖期には「チュビチュビチュビチュルルルル」というさえずり声で鳴きます。
民家の軒先など人が住む賑やかな環境に、泥と枯草で巣を作ります。これは、天敵であるカラスやスズメが近寄りにくいからだそう。穀物を食べず、水稲栽培で発生する害虫を主食とするため、益鳥として古くから大切に扱われてきました。ツバメを殺したり、巣や雛に悪戯をする事を慣習的に禁じていました。
帰巣性があり、前年と同じ巣に帰り、修繕して利用したり、巣が無い場合はその付近の別の個体の巣や前年営巣した付近に巣を作ります。順調にいけば2回の子育てをし、9月~10月にかけて東南アジアに渡ります。
◆◆ 七十二侯 ◆◆
◆初候「草露白」(そうろ しろし):草に降りた露が白く光る。
◇草に降りた露が白く光って見える時節。
◆次候「鶺鴒鳴」(せきれい なく):鶺鴒が鳴き始める。
◇小川や沼などの水辺で鶺鴒が鳴き始める時節。
◆末候「玄鳥去」(げんちょう さる):燕が南へ帰って行く。
◇つばめが南へ帰っていく時節。玄鳥(げんちょう)=つばめの異称。乙鳥(いつちょう)とも。また、鶴の異称とも。
◆◆ 9月の花 ◆◆
◇彼岸花(ひがんばな)曼珠沙華(まんじゅしゃげ)
彼岸花科。学名:Lycoris(リコリス)。ギリシャ神話の海の女神の名前「Lycoris」のこと。 原産地中国
開花時期は9月15~末日頃。秋の彼岸の頃に、突然茎が伸びてきて、鮮やかな色の花を咲かせ、数日で花が終わって茎だけなります。
花のあと葉が伸びてきますが、冬と春を越して夏近くなると消えてしまいます。ですから花と葉を同時に見ることは出来ません。葉のあるときには花はなく、花のときには葉がないことから、韓国では「サンチョ(相思華)」と呼ばれます。「花は葉を思い、葉は花を思う」の意。
別名の曼珠沙華は「天上の花」の意。目出度い事が起こる兆しに、赤い花が天から降るという経典に由来。
花言葉は「情熱」「悲しい思い出」「独立」「再会」「あきらめ」など。
◇金木犀(きんもくせい)(Fragrant olive)
木犀(もくせい)科。学名:オスマンサス。語源は、ギリシャ語の「osme(香り)+ anthos(花)」原産地は中国南部。
開花時期9月下旬~10月10日頃。花が咲いている間、強い香りを放ち、春の沈丁花(じんちょうげ)、夏の梔子(くちなし)に並びます。開花のあと、風雨があるとあっけなく散ってしまいます。
中国名「丹桂」。丹=橙色、桂=モクセイ類のこと。日本には江戸時代初期に渡来。静岡県の県の木になっています。
花言葉は「謙遜」「真実」「陶酔」「初恋」など。
◇水引(みずひき)
蓼(たで)科。学名:Polygonum filiforme 語源はギリシャ語の「polys(多い)+ gonu(節)」から。茎の節が膨らんで関節のように見えることに由来。
開花時期は8月5日頃~10中旬。上から見ると赤く見え、下から見ると白く見える花を、紅白の水引に見立てたもの。日陰に生えます。葉は時折変わった斑が入ったもの(ふいり)が見られます。
「水引草」(みずひきそう)。
花言葉は「感謝の気持ち」など。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
今日から9月節です。この時期、暦の上では大風になると記されています。八朔・二百十日・二百二十日など風の被害で、収穫が出来なくなる事が無いように用心を促しています。
社会でも大風が吹いて、首相交代で野田新首相が、組閣がすすめられています。どのような顔ぶれでも、子孫の為に国創りをしてもらいたいものです。
夏バテの出る時期です。体調管理には気を配りましょう。油断から夏風邪などお召しにならないようお体ご自愛専一の程
筆者敬白
【平成23年9月】今月の祐気採り方位:http://www.kisetsunootayori.com/06/23-09-0000.html
【平成23年9月】今月の展望/一白水気: http://www.kisetsunootayori.com/06/23-09-00-00.html
◆◆ 9月の祐気方位 ◆◆
◇採水日◇--------------------------------------
9/17(土)、26(月)、10/5(水)
◇採水時間◇------------------------------------
午前3~5時(寅の刻)
午後9~11時(亥の刻)
※開運効果が特に高い日時ですので、採水をおすすめしております。採水とは、神社等の湧き水を取ることをいいます。また、この時間は明石標準時です。
◇祐気方位◇-----------------------------------
◎一泊以上可 ○一日程度 △半日程度
一白水星=◎南西 ○北東
二黒土星=○南西
三碧木星=◎北東 ○南東
四緑木星=○南東
五黄土星=◎北西 ○南東 ○南西
六白金星=○南西 ○北西
七赤金星=◎北西
八白土星=○南東 ○南西 ○北西
九紫火星=○北東
※その他すべて凶方位です。
※但し、「9/17の南東方」「9/26の北東方」「10/5の北西方」は選用不可。また、「午前3~5時の南西方」「午後9~11時の南東方」は採水出来ません。
※「南東方と北西方」「南西方と北東方」は、それぞれ対冲関係にありますので、目的にあわせてどちらか一方の選用にするか、距離や時間で調整して下さい。
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【平成23年9月】今月の祐気採り方位:http://www.kisetsunootayori.com/06/23-09-0000.html
【平成23年9月】今月の展望/一白水気:http://www.kisetsunootayori.com/06/23-09-00-00.html
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◆方位と祐気取りについて◆
「方位:ほうい」という言葉は、もともと漢語で、そのまま日本語として使用しています。「方角+位置」のことで、四方の位置、十二支の位置、易の位置を示します。
「四方」では「東西南北」、「十二支」では「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」、「易」では「乾兌離震巽坎艮坤」のことです。
「方位」とは、陰陽・五行・十干・十二支などを配し、その祐・尅によって吉凶禍福が支配されるという俗語です。ちなみに、四方を日本では「東西南北」といいますが、中国では「東南西北」と五行の順にいいます。
ここでいう「気」とは一つの「エネルギー」です。地球は様々なエネルギーによって動かされ、地球上の生物はそのエネルギーに影響されていることは、科学的なデータからも明らかです。
太陽・月・水星・金星・土星・火星・木星などの星は、紫外線・赤外線・ガンマー線などの電磁波を放出しています。地球自体は、引力や重力・磁気などのエネルギーを持っています。
私たちは、生まれた時から宇宙からのエネルギーと、大地の持つエネルギーの「波動」の影響を受けています。ご自身が持つ「肉体的エネルギー」と、「自然界のエネルギー」とが、うまく調和したときの波動が「祐気:ゆうき」です。反対に調和がとれない状態が「尅気:こっき」なのです。
つまり、自然界の波動エネルギーには、ここでいう「方位」が影響しています。皆様ご自身の祐気方位に出掛けて、波動の調整をして、運勢エネルギーを取り込むことをここでは「祐気採り:ゆうきとり」といいます。俗にいう「お水取り」のことです。
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【平成23年9月】今月の祐気採り方位:http://www.kisetsunootayori.com/06/23-09-0000.html
【平成23年9月】今月の展望/一白水気: http://www.kisetsunootayori.com/06/23-09-00-00.html
■8月23日「処暑(しょしょ)」■
8月23日20時21分「処暑」です。旧暦7月、申(さる)の月の中気で、新暦8月23日頃。天文学的には、太陽が黄経150度の点を通過するときをいいます。
暑さがとどまる、止むの意から処暑といいます。涼風が吹きわたる初秋の頃で、暑さは峠を越えてようやく過ごしやすくなります。綿の花が開き、穀物が実り始め、収穫も目前といった時期です。
また、この頃は「二百十日」「二百二十日」と並び台風襲来の多い時期とされ、暴風雨に見舞われることが少なくありません。
日に日に北の方から秋の気配がしてきます。路端ではススキが目立ち初め、秋をところどころに感じるようになります。今年は梅雨明けしたのに集中豪雨やゲリラ豪雨があったり、8月の土用が過ぎてから暑さが戻ってきました。
どうやら秋はすぐそこまで来ていて、残暑厳しい中でも秋の気は感じられます。台風でさえも秋の気は感じられるものです。秋は感じ方で長くもあり、またあっと過ぎてしまうような短さの中に「もの悲しさ」をも含んでいるのでしょう。
「処」の字は、人がよりかかる台(机)に足を乗せている様を表わす漢字で、「安心している」「落ち着く」さまを表わしています。処暑は暑さがひと段落して落ち着くということからの語源です。
■「七十二候」■
◆初候「綿柎開:めんぷひらく」
◇綿を包む咢(がく)が開く。綿を包むガクが開き始める時節。柎(うてな)=「はなしべ」は古訓で、花のガクをいいます。また、はなぶさ。
◆次候「天地始粛」(てんちはじめてしじむ・しゅくす)
◇ようやく暑さが鎮まる。ようやく暑さが鎮まる時節。
◆末候「禾乃登」(かすなわちみのる):稲が実る。
◇穀物が実る時節。
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
8月後半になると、残暑の中にも朝晩の涼しさを感じます。夏の花火大会も8月がピークでしたが縮小や中止が相次ぎ東日本大震災の余波を感じます。処暑が過ぎると台風到来の季節です。
残暑の疲れが出て食欲不振や精力減退の方に、お勧めは規則正しい生活です。
皆さん、お体ご自愛専一の程
筆者敬白
■8月15日「終戦記念日」■
昭和20年(1945)8月15日正午、「昭和天皇の玉音放送」による「太平洋戦争(大東亜戦争/第二次世界大戦)の敗北宣言」を国民に伝える「終戦詔書」がラジオに流れ、「ポツダム宣言の受諾と軍の降伏の決定」が伝えられました。
天皇の肉声を「玉音」と言います。この日、天皇の肉声が初めてラジオで放送されました。敗戦と降伏が発表され、この日をもってアメリカとの戦争が事実上終了しました。戦線で苦闘していた将兵たち、内地で空襲に焼かれ、衣類も食料もなく、それでも敵上陸に備えて竹槍を持たせられていた国民も、すべてがこれに聞き伏したのです。
しかし、ラジオもなく新聞も配られないところでは、終戦を知るのは後のこととなります。空襲警報発令のサイレンの音、防空壕の暗く重苦しい空気、焼夷弾の降る恐怖から開放された「無条件降伏」による戦後の国民の生活は、終戦の勅語『惟フニ 今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ 固ヨリ尋常ニアラス 爾臣民ノ衷情モ 朕善ク之ヲ知ル 然レトモ朕ハ 時運ノ趨ク所 堪ヘ難キヲ堪ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ萬世ノ為ニ 大平ヲ開カムト欲ス』の「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び以て萬世の為に...」のとおり、耐乏と空腹の毎日を強いられたのでした。
この日を「終戦日」と呼び、昭和38年(1963)閣議決定により「全国戦没者追悼式」が行われるようになり、昭和57年(1982)には「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」とする事が決定され、再び過ちを繰り返さないよう戦没者に誓っています。
終戦記念日は盆にあたることから、死者の霊を供養すべき日として日本人に意識されていますが、今一度、終戦記念日の意味を考えてみてはいかがでしょう。
アジア諸国では「日本からの開放記念日」、アメリカ・イギリスなどの連合国では「対日戦戦勝記念日」となっています。
■8月15日「全国戦没者追悼式」■
全国戦没者追悼式(ぜんこくせんぼつしゃついとうしき)は、第二次世界大戦における全戦没者に対し、国を挙げて追悼の誠をささげるのを趣旨とした、無宗教の形で行なわれる政府主催の追悼式です。
「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として、昭和27年(1952)4月の閣議決定により、同年5月2日に新宿御苑にて第1回追悼式が行なわれました。
昭和38年(1963)以降は、天皇皇后両陛下の御臨席を仰いで、毎年8月15日に行なわれています。
追悼の対象は、第二次世界大戦で戦死した旧大日本帝国軍人・軍属約230万人と、空襲や原子爆弾投下等で死亡した一般市民約80万人。式場の正面には「全国戦没者之霊」と書かれた白木の柱が置かれます。
式典は、政府主催。東京都千代田区の「日本武道館」で開かれます。式典開始は午前11時51分、所要時間は約1時間。正午より1分間の黙祷を行います。
式典には、天皇・皇后、三権の長(内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官及び各政党代表、地方公共団体代表)が参列。また、日本遺族会等関係団体の代表者、経済団体、労働団体、報道機関の代表者、日本学術会議会長、日本宗教連盟理事長などを招き、各都道府県遺族代表、一般戦災死没者遺族代表、原爆死没者遺族代表らを国費で参列させています。
式典当日は、官衙等国立の施設には半旗を掲げることとし、地方公共団体等に対しても同様の措置をとるよう勧奨するとともに、本式典中の一定時刻において、全国民が一斉に黙とうするよう勧奨しています。
◇◇◇◇編集後記◇◇◇◇
今年は終戦から66年が経ちました。戦没者の慰霊方法で今年も混乱しています。英霊を皆が崇敬出来るような社会になってほしいものです。
国内に不景気感はあるものの技術に立脚した平和な日本です。平和に慣れて技術過信したことが原子力発電所事故を起こしました。
また隣国との摩擦は本格化しています。いつまでも平和ボケせず自国の領土は自ら守りたいものです。
読者の皆様、ゲリラ豪雨が頻発しています。雨にあたって風邪などお召しにならなよう、お体ご自愛専一の程
筆者敬白
「迎え火」とは、麻の茎を乾燥させた麻幹(おがら)を松明(たいまつ)のように立てて火をつけたもの。先祖の霊が迷わずに帰って来られるように、道しるべとなります。 外から内に入るように火をまたぐと、先祖の霊を迎え入れたという意味に。火を焚くかわりに、軒先に電気提灯を下げる場合もあります。
■■月遅れ盆8月15日「ぼん」「盂蘭盆」■
「盂蘭盆:うらぼん」とは、旧暦7月15日(現在の8月15日)を中心に行われる先祖の霊を祀る仏事のこと。仏教用語。省略して「おぼん」「盆」ともいいます。
7月13日の夕方の「迎え火」に始まり、16日の「送り火」に終わります。先祖の霊を自宅に迎え、父母の恩を謝し、種々の供物を死者の霊にお供えして、お経をあげ、冥福を祈ります。
盂蘭盆とは、梵語で「倒懸(とうけん=さかさづり)の苦を救う」の意。あの世で非常な苦しみを受けている死者を供養し、救うという。サンスクリット語で「ウラバンナ」の音写語です。
一般的に「盆」は、供物を載せる容器の「おぼん」を意味し、「ぼん」ということから、盆になったという説もあります。いずれにせよ盆の行事は、正月の行事と同様に祖霊祭の意味を持ち、大変重要なものです。
釈迦の弟子に目連という人がいました。その母の死後、餓鬼道に堕ちて痩せ衰えているのを、心眼によって見透し、助けようとしたが出来ません。釈迦の教えを乞うと「目連の一人の力ではいかんともしがたい。7月15日に衆僧に供養し、その功徳によって母を餓鬼道から救いなさい。」と命じられたと、盂蘭盆経にあります。
盂蘭盆経は、父母恩重経や善悪因果経などと共に中国で成立した偽経と考えられています。本来は安居の終わった日に、人々が衆僧に飲食などの供養をした行事でした。これが転じ、様々な伝説が付加されたのでしょう。
インドから中国を経て、日本には飛鳥時代に伝わりました。推古天皇14年(606)に飛鳥の法隆寺で行われたのが初めで、聖武天皇の天平5年(733)から宮中の仏事となりました。奈良平安時代には、毎年7月15日に行われ、鎌倉時代からは「施餓鬼会」をあわせて行うようになりました。
「施餓鬼会:せがきえ」とは、死後に餓鬼道(がきどう)に堕ちた衆生の為に飲食を布施し、その霊を供養すること。同時に、無縁仏となって成仏できずに俗世を彷徨う餓鬼にも施します。
古来、日本では初春と初秋の満月の日に魂祭が行われていました。魂祭とは、祖先の霊が子孫のもとを訪れて交流する行事です。初春のものが祖霊の年神として神格を強調されて「正月」の祭事となり、初秋のものが「盂蘭盆」と習合して、仏教の行事として行われるようになったといわれています。
盆の13日は、先祖代々の墓に参ります。夕方には門口で「迎え火」といって苧殻(おがら)をたき、精霊を迎え入れます。14日や15日は僧侶を招いてお経をあげてもらいます。このことを棚経(たなぎょう)といいます。供物を供える棚「精霊棚」の前で経を読むことから、そういわれます。16日の夜は「送り火」をたき、精霊を送ります。
※苧殻とは、皮を剥いだ麻の茎の部分。麻殻。
盆には「素麺、瓜、茄子、西瓜、ほうずき、梨、葡萄」などが供えられます。瓜や茄子で作った牛馬の飾りは、あの世とこの世を行き来するための乗り物。精霊馬(しょうろうま)と呼ばれ、これに精霊を載せて迎え、送るという意味です。
亡くなった人が49日法要が終わってから最初に迎えるお盆を「初盆:はつぼん」または「新盆:にいぼん」と呼びます。亡くなっても、まだ世俗のものを多く身に付けていたり、供養してもらえない人の霊も一緒に連れて帰ることがあるので、特に手厚く供養します。
■■月遅れ盆8月16日「ぼん送り火」■
京都の「五山送り火」も精霊送りのひとつ。盆の期間に集団で行われる「盆踊り」は精霊を迎える、死者を供養する、霊を送り出すなどのための仏教行事です。
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◇◇月遅れお盆の過し方◇◇
◆7日「七日盆」◆
お墓を磨いたり、掃除をしたりします。
◆12日「草の市」◆
花やロウソクなどを買って、迎え盆の準備をします。
◆13日「迎え盆」「迎え火」◆
お迎えした先祖の霊は、仏壇ではなく「盆棚」(精霊棚)に祀ります。仏壇の前や縁側などに盆棚を作り、墓参りに行き、玄関に迎え火を焚いて、霊を迎えます。
◆15日「盆」「藪入り」◆
休みをもらって、お盆や正月に帰省することを藪入り(やぶいり)といいます。家族揃ってゆったり過ごしたり、親戚の盆棚へお参りに行ったりします。
◆16日「盆送り火」「精霊送り」◆
お盆の最後の日。先祖の霊が無事にあの世へ戻れるよう、海や川に供え物や舟を流したり、送り火を焚いて送り出します
◆◆◆◆編集後記◆◆◆◆
旧暦のお盆、すなわち8月のお盆を習慣にしている地域では、8月13日の迎え火から15日がお盆、16日日に送り火といった日程が一般的です。ここでは月遅れ盆と表示してあります。
この時期、お盆休暇で帰省して、同窓生らと学生のころ思い出し、懐かしさから、暴飲暴食に走る方をお見受けします。夏バテが体に出る時期ですから、体調管理にくれぐれも注意しましょう。
それでは読者の皆様、お体ご自愛専一の程
筆者敬白





