「ホンダジェット」自動車最高峰F1レースに続き小型ビジネスジェット機分野で世界一
伝統ある米国セスナ社を抜いてトップに
日本の自動車メーカーのホンダが開発した小型ビジネスジェット機「ホンダジェット」が平成29年上半期の小型機分野で、シェア世界一になりました。ホンダが航空産業に参入してわずか2年での快挙で、これまで24機を出荷し世界シェアは4割、伝統ある米国のセスナ社を抜き世界一となりました。
小型ビジネスジェット機は、約20人乗り程度で、平成13年の米国同時多発テロがあって以降、安全性、利便性からニーズが高まっています。ホンダジェットは、全長13m、翼幅12mで乗員含め最大7人乗りとなっています。
本田宗一郎氏「他人のマネするな」で主翼の上にエンジン搭載
ホンダの航空産業への参入は古く、昭和37年に社内報で小型機の開発を宣言。ホンダ創業者・故本田宗一郎氏の創業前からの夢でした。
本格的な研究は、昭和61年、米国で「ホンダ・エアクラフト・カンパニー」を設立しゼロからスタート。ホンダジェットの最大の特徴は、主翼の上に2基のエンジンを乗せ、空気抵抗が最大に抑えられる設計をしました。故本田宗一郎氏の「他人のマネをするな」の言葉通り、航空業界の常識を打ち破りました。これは、画期的な商品を生み出した米アップル社の共同創業者・スティーブ・ジョブズの「Think Difference(違いを考える)」の言葉にも共通しているように思えます。
「空飛ぶシビック」から「空飛ぶスポーツカー」へ
ホンダ・エアクラフト・カンパニーは、小型ビジネスジェット機でシェアトップとなたことで、「ホンダジェットは空飛ぶスポーツカー」と絶賛。開発時には「空飛ぶシビック(小型自動車)」と言われていましたが、最大時速は782km、最大運用高度は約1万3,100mと空気抵抗が減少し燃費も向上しました。
ホンダは、昭和39年までに自動二輪レースで成功を収め、新たなチャレンジとして自動車レース最高峰F1にも参戦。初の日本製F1マシンは昭和40年に初優勝。その後も優勝を重ね、昭和63年には歴史に名を残す年間15勝、ドライバーの故アイルトン・セナはドライバーズチャンピオンに輝きました。「勝った原因を追求し、その技術を新車に取り入れる」との故本田宗一郎氏の信念が航空業界にも生きました。
「小さな芽を生かす」ため、回り道や非効率も許容
ホンダのように製造業にとってコストの削減や効率化は不可欠であるのが常識ですが、ホンダでは小さな芽を生かすため、回り道や非効率を許容する度量がなければ時代の変化に生き残ることはできないとしています。
クリエイティブは、個の発想から生まれ、それを生かすこと。よって、ホンダ技術研究所には、強烈な「個」を持つ技術屋集団と言われています。そこにホンダの「技術屋王国」の基盤が見えます。
ホンダジェットは、日本では空港の発着枠があるため日本市場参入には時間がかかりそうですが、この課題に技術屋集団はどう対応し、日本の空にホンダジェットを飛ばすのか期待されます。
●関連記事:「ホンダ創業者・本田宗一郎氏の夢「ホンダジェット」羽田で公開!開発から半世紀で実現」[2015.5.2配信]
[2017.9.9]
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