最低賃金1,177円時代へ――「賃上げできない会社」がこれから直面すること

2026年度の最低賃金が大幅に引き上げられます。

厚生労働省が公表した各都道府県の答申を集計すると、地域別最低賃金の全国加重平均は1,177。前年度の1,121円から56円の引き上げとなりました。

引き上げ幅は都道府県によって54~65円。全国加重平均で56円という引き上げ額は、1978年度に現在の目安制度が始まって以降、2番目の大きさです。新しい最低賃金は、各地域で2026年10月1日から12月2日にかけて順次発効する予定です。

最低賃金の引き上げというと、「パートやアルバイトの時給をいくらにするか」という話に見えます。

しかし、今回の引き上げをそれだけの問題として捉えるのは危険です。

人手不足が続く中、最低賃金の上昇は正社員を含めた賃金体系全体に波及し、企業には価格転嫁、生産性向上、設備投資、そして事業そのものの収益力向上を迫ります。

これから問われるのは、「最低賃金を払えるか」ではなく、「継続的に賃上げできる会社になれるか」なのです。

1章 最低賃金1,177円――人件費はどこまで増えるのか

2026年度の最低賃金は全国加重平均で1,177円となります。

ただし、1,177円は全国一律の最低賃金ではありません。

例えば東京都では、現在の1,226円から1,280へ引き上げられる予定です。大阪府も1,177円から1,231となるなど、大都市圏ではすでに1,200円台が当たり前になってきました。

仮に時給が56円上昇すると、1人当たり年間1,800時間働く場合、

56円 × 1,800時間 = 約101,000

の人件費増になります。

最低賃金近辺で働く従業員が20人いれば約202万円、50人なら約504万円です。

対象従業員数1人あたり年間増加額年間人件費増加額
5人約10.1万円約50万円
10人約10.1万円約101万円
20人約10.1万円約202万円
50人約10.1万円約504万円
100人約10.1万円約1,008万円

※最低賃金が56円上昇し、1人年間1,800時間勤務すると仮定。社会保険料等の増加は含まない。

しかも、実際の負担増はこれだけではありません。

企業が負担する社会保険料なども増えますし、最低賃金の従業員だけを引き上げると、これまでそれより高い賃金をもらっていた従業員との賃金差が縮まります。

例えば、

「新人が時給1,200円なら、5年間働いている自分の1,250円はどうなのか」

という問題が当然出てきます。

その結果、最低賃金の引き上げは、パート・アルバイトだけでなく、ベテラン従業員や正社員まで含めた「賃金表全体の引き上げ」につながっていきます。

したがって経営者が見るべきなのは、

最低賃金の上昇額 × 最低賃金対象者数

だけではありません。

会社全体の人件費が今後どれくらい上昇するのかを試算する必要があります。

最低賃金1,177円という数字は、その入口にすぎないのです。

2章 「賃上げできない会社」が直面する3つの問題

では、十分な賃上げができない企業には何が起こるのでしょうか。

最も大きな問題は、採用力の低下です。

最低賃金が上がれば、当然ながら市場の求人時給も上昇します。

法律上の最低賃金が1,200円だからといって、「時給1,200円」で人が集まるとは限りません。

周辺企業が1,300円、1,400円で募集していれば、それが実質的な採用相場になります。

つまり企業にとって重要なのは、「最低賃金」よりもむしろ「採用できる賃金」なのです。

二つ目は、既存社員の流出です。

転職によって賃金を上げるという選択肢が一般的になれば、会社に残り続ける理由は「長く勤めているから」だけでは弱くなります。

特に若い世代ほど、給与水準や働き方を比較して職場を選びます。

採用できないだけでなく、現在いる人材まで流出すれば、残った従業員の負担が増え、さらに退職者が増えるという悪循環にもなりかねません。

そして三つ目が、利益率の低下です。

売上が変わらないまま人件費だけが増えれば、当然利益は減少します。

例えば、

売上高1億円
人件費3,000万円
営業利益500万円

という会社で、人件費が5%増えれば、人件費は150万円増加します。

他の条件が同じなら、営業利益は500万円から350万円へ減少します。

人件費は5%しか増えていないのに、営業利益は30%減る。

項目賃上げ前人件費5%増加後増減
売上高1億円1億円
人件費3,000万円3,150万円+150万円
その他費用6,500万円6,500万円
営業利益500万円350万円▲150万円
営業利益率5.03.5▲1.5pt

ここが賃上げ問題の怖いところです。

利益率の低い中小企業ほど、人件費上昇の影響は大きくなります。

3章 必要なのは「賃上げ」ではなく「賃上げできる会社」への転換

では、人件費の上昇にどう対応すればよいのでしょうか。

答えは単純なコスト削減ではありません。

重要なのは、

①価格を上げる
②生産性を上げる
③付加価値を上げる

という三つの方向です。

まず避けて通れないのが価格転嫁です。

2026年版中小企業白書によれば、中小企業のコスト全般の価格転嫁率は2025年9月時点で53.5。改善傾向にはあるものの、価格転嫁できる企業とできない企業の二極化が続いていると指摘されています。

原材料やエネルギー価格だけではありません。

今後は「労務費が上がったので価格を見直す」という交渉が、より重要になります。

2026年1月には、事業者間の価格転嫁・取引適正化を目的とした改正制度も施行されています。政府も、賃上げ原資を確保するためには価格転嫁が不可欠との姿勢を明確にしています。

次に必要なのが生産性向上です。

例えば10人で行っている業務を、ITやAI、機械設備の導入によって8人相当の業務量で処理できるようになれば、1人当たりに配分できる付加価値は高くなります。

ここで重要なのは、

「人を減らすためのDX」ではなく、「少ない人数でも売上を維持・拡大できるDX

という考え方です。

人手不足時代には、人を採用して売上を増やすモデルそのものが成立しにくくなります。

そして三つ目が付加価値の向上です。

単価の低い仕事を大量に受注するビジネスモデルでは、人件費が上がるほど経営は苦しくなります。

「誰でもできる仕事」を安く提供する会社から、「その会社だから頼みたい仕事」を適正価格で提供する会社へ。

商品構成、顧客層、サービス内容、販売方法まで含めた見直しが必要になります。

最低賃金の上昇は、実は企業にビジネスモデルの再構築を迫っているとも言えるのです。

賃上げできない会社賃上げできる会社
価格値上げできない適正な価格転嫁を行う
売上人数を増やして伸ばす1人当たり売上を高める
業務人手に依存IT・AI・設備を活用
商品・サービス価格競争になりやすい高付加価値化を進める
人材採用難・離職増採用・定着で優位
賃上げコストとして捉える成長投資として捉える
経営の循環賃上げ→利益減少賃上げ→投資→生産性向上→利益増加

4章 中小企業は「賃上げ+投資」をセットで考える

一方で、政府も最低賃金だけを引き上げているわけではありません。

2026年度には、厚生労働省が「賃上げ支援助成金パッケージ」を設けています。

代表的な制度が業務改善助成金です。

これは、事業場内最低賃金を引き上げながら、生産性向上につながる設備投資などを行った中小企業に対し、その費用の一部を助成する制度です。

2026年度は最大600万円の助成枠があり、機械設備だけでなく、生産性向上につながるさまざまな投資が対象となります。

2026年度分は9月1日に受付が始まっています。

ただし注意したいのは申請期限です。

原則として、各都道府県の新しい最低賃金発効日の前日、または1130日のいずれか早い日までとなっています。東京都内の事業場の場合は9月30日が申請期限です。

また、申請前に賃上げをしてしまったり、交付決定前に設備を導入してしまったりすると対象にならない場合があるため、実施順序にも注意が必要です。

これは非常に重要なポイントです。

「最低賃金が上がるから仕方なく給与を上げる」

だけでは、人件費が増えて終わります。

そうではなく、

賃上げ → 設備投資・DX → 生産性向上 → 利益増加 → 次の賃上げ

という循環を作ることが重要です。

例えば飲食店ならセルフオーダーやPOS、製造業なら自動化設備、小売業なら在庫管理システム、サービス業なら生成AIやクラウドによる事務作業の効率化など、業種によって取り組めることは異なります。

助成金や補助金は「もらえるお金」と考えるのではなく、これから必要になる投資を前倒しするための手段として考えた方がよいでしょう。

まとめ 最低賃金上昇は「弱い会社」から順番に効いてくる

最低賃金1,177円という数字だけを見ると、「今年もまた50円程度上がった」という話に見えるかもしれません。

しかし、今回の最低賃金引き上げの本質はそこではありません。

人口減少と人手不足が続く日本では、今後も賃金には上昇圧力がかかると考えるべきでしょう。

そして問題は、

「賃上げしたら利益が減る」

という企業です。

本来、賃金が上昇しても、それ以上に価格、生産性、付加価値を上げることができれば、企業は成長できます。

逆に、

価格を上げられない。
設備投資もできない。
生産性も上がらない。
それでも人件費だけは上がっていく。

この状態が続けば、企業の利益は徐々に削られていきます。

最低賃金の上昇は、ある意味で企業の「稼ぐ力」を試すものになっています。

これからの中小企業経営で重要なのは、単に最低賃金に対応することではありません。

「どうすれば毎年3%、5%と賃金を上げ続けられる会社になるのか」

を考えることです。

価格転嫁、設備投資、DX・AI活用、業務効率化、そして高付加価値化。

これらは別々の経営課題ではありません。

すべては、

「人件費が上がっても利益を出せる会社をつくる」

という一つの課題につながっています。

最低賃金1,177円時代。

企業に求められているのは、賃上げへの「対応」ではなく、賃上げを続けられる経営への転換といえるでしょう。

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