SUBARU:富士重工業から新会社へ。自動車産業100年に一度の変革期下でメーカー意識脱却へ
「ものづくりの会社から笑顔をつくる会社に」
日本の重工業を支えた富士重工業が今年4月、SUBARU(スバル/(株)SUBARU:東京都渋谷区 吉永泰之社長)に生まれ変わりました。風力発電、ゴミ収集車、汎用エンジン事業など多角化していた事業を売却し、自動車事業に経営資源を集中させました。「ものづくりの会社から笑顔をつくる会社に進化しよう」。富士重最後の日の3月31日、吉永社長はそう宣言しました。
愚直に進めた経営の選択と集中
平成23(2011)年6月の就任以来、吉永社長は、愚直に、経営の選択と集中を進めました。自動車事業でも、軽自動車の開発・生産から撤退。中国での現地生産も見送り、米国市場の強化に絞り込みました。その結果、平成24(2012)年3月期に2.9%だった連結売上高営業利益率は、平成28(2016)年3月期には17.5%に上昇。今年3月期も、営業利益率は12%以上と立派な数字を残しています。
100年に一度の変革期にある自動車産業
新会社SUBARUという名前には、「安定した経営基盤の上に、強固なスバルブランドという城を築く」「小粒だがきらりと光るポジションを確立する」という意志を込めました。この社名変更を機に、吉永社長は全従業員に対し、「メーカー意識からの卒業」を訴えています。自動車産業は目下、自動運転や電動化、人工知能(AI)との融合など、100年に一度の変革期にあります。従来のものづくりへのこだわりだけでは乗り切れない。全く新しい発想が必要なのです。
スバルならではの安心と愉しさ
たとえば、「ぶつからないクルマ」という新しい価値を生み出した衝突安全技術「アイサイト」。この技術は、新車販売の飛躍につながっただけでなく、消費者の意識に大きな転換をもたらしました。「価格ではなく、消費者にスバルならではの『安心と愉しさ』のブランド価値を認めてもらえるかどうかが勝負になる」と、吉永社長は言い切ります。まさに「進化」が求められています。
●関連記事:「日本の自動車産業再発進!ホンダ:GMと提携で「究極のエコカー」開発、トヨタ:国内開発に7億円超/富士重工初のHV、2週間で月間目標の10倍受注!」[2013.7.16配信]
[2017.4.19]
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