東京・大田区の町工場が30年で6割減! 長引く景気の低迷が、「日本の財産」を窮地に追い込んでいる。行政も企業も、知恵を絞って再生のために力を!
30年の間に約6割も減った日本の財産
東京・大田区の町工場は、今も日本の財産です。「氷上のF1」と呼ばれるボブスレーでは、日本代表の公式マシンづくり「下町ボブスレープロジェクト」を、大田区の町工場が担っています。独自の技術でロケットの主要部品を開発・製造し、大企業と対等に渡り合う小説『下町ロケット』の舞台も、大田区の町工場でした。その町工場が、昨年12月時点で約3500軒となり、この30年間で約6割も減っていることが、同区の推計で分かりました。寂しいことです。
大田区の町工場は、機械・金属加工系が全体の8割を超え、高い技術を持つ工場が集積することで、「少量生産・短納期」「難しい製品」の発注に応える優れた文化を築きました。高度経済成長期の1950年代半ば、今と同じ3500軒だった工場が、ピーク時の83年には9117軒に増えました。まさに「ものづくり」ニッポンの象徴でした。2000年初頭は液晶TVや、第3世代携帯などを担いました。ところが、ITバブルが崩壊し、状況は一変したのです。
アイデアやニーズを商品化させるまでの橋渡しが弱い日本
区の調査によると、現在、工場の半数は、社長を含めた従業者が3人以下。長引く景気の低迷で、受注減が続いています。発注元の大手企業は、コスト削減のため、海外受注を増やし、下請けを圧迫するのです。さらに、従業員の高齢化、後継者不足......問題山積です。状況悪化が続けば、「工場同市がアイデアを出し合い、協力しあうネットワーク」の文化までが弱くなります。成長分野への転身が常に期待されてきましたが、転換は容易ではありません。
アイデアやニーズを商品化させるまでの「橋渡し」が、この国は弱い。産官学をつなぐパイプが弱いという話は、このコラムでも書いてきました。大田区の工場という財産をつぶしてはなりません。国も都も区も、企業も、知恵を絞り、再生に協力してほしい。まだまだできることがあるはずです。
[2015.9.23]
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