1970年代のオイルショックの経験、エネルギー危機は産業構造転換点
現在、世界経済はオイルショック時と似た状況にある
コロナ禍とウクライナ危機、円安により物価が高騰して国の財政赤字が拡大している現状について、70年代のオイルショック時の世界経済の動向に考察のヒントを見出す経済アナリストは少なくありません。現在、消費者物価指数の上昇率(2022年11月時点)は、アメリカは7%台、ドイツは10%台。たしかにオイルショック時に次ぐ高い水準です。
1973年秋、中東の産油国が原油価格を70%引き上げたのが第1次オイルショックの引き金でした。トイレットペーパーが買い占められて商品棚から消えた奇妙な社会現象を覚えている人もいるでしょう。1979年の年初にはイラン革命が起こり、石油の生産がストップしたことを受けてOPECが原油価格を引き上げ、第2次オイルショックが始まりました。第1次、第2次ともに原油価格の高騰が悪性インフレーションを引き起こし、世界経済に恐慌を来しました。
オイルショック時の日本とウクライナ紛争下のEU
70年代当時、日本は第一次エネルギーの約8割を石油が占め、さらにその8割近くを中東からの輸入に頼っていました。国民は石油・電力の10%使用節約を求められました。深夜0時以降のテレビ放送は中止、繁華街のネオンも消えました。資源エネルギー庁が設置され、「エネルギーの使用の合理化等に関する法律」(いわゆる「省エネ法」)が制定、施行されました。さらに政府は、便乗値上げ・不当利得の取り締まり、総需要抑制策と物価対策の強化、エネルギー供給確保の努力など多角的な対策に取り組みました。
ウクライナ危機以降、欧州ではエネルギー価格の高騰と供給懸念が深刻化しています。ロシアからの天然ガス供給が削減されるなどしたEUは、今後のエネルギー危機への備えも含めて、エネルギーの多様化や省エネ対策を進めるよう加盟国に求めています。欧州以外の各国でも脱炭素化とあわせて、エネルギー安全保障が議論の中心になっています。エネルギー問題に限らず、多国間で安全保障を確立させることは簡単ではないでしょう。今回のような世界的なエネルギー危機を防ぐためには、利害の相違を超えた何らかの体制をつくらなければならないのです。
エネルギー危機に必死に取り組むEUに遅れをとるな
エネルギー価格の上昇抑制、家計や企業への支援、省エネ要請、偏っていたエネルギー供給の多様化など、オイルショックにおける日本の対応とコロナ禍・ウクライナ危機へのEUの対応は多くの共通点があります。
70年代のオイルショックを機に、日本の産業構造は大きく変わりました。エネルギーを大量に消費するアルミ製連などの産業が終局を迎えた一方で、新たな省エネ技術の導入に成功した鉄鋼などは以前よりも効率化が進みました。エネルギー価格の高騰によって日本の産業は構造を変えざるをえませんでしたが、しかしそのおかげで、痛みは伴いましたが時代に合わせた産業構造に転換できたと言うこともできるでしょう。
現在、エネルギー危機に直面するEUの方針は参考になります。オイルショック後の日本のように、省エネやクリーンエネルギーに関する技術革新が進み、欧州全体の産業が構造転換して競争力を上げるのは目に見えています。日本も、防衛費ばかりを議題にしていないで、過去の教訓を生かし、今現在の物価高、円安、地政学的リスクをチャンスに変えて競争力のある産業構造に変わっていけるように中長期的な目線で議論を始めましょう。
●関連記事:「危機対応の財政出動は規模と内容が重要、トラス政権の轍を踏むな」[2022.12.18配信]
[2022.12.18]
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